秋ですね。
半袖で外を出歩くことができない時期が来ました。
昨日、個サル(個人参加型フットサル)に参加してきたのですが、そこで色々と悟りまして。
結論から言うと、昨日でスパイクを脱ぐことを決めました。
奥さんには、寝る前に思っていることをツラツラと語ったのですが、今日改めてこのブログにも残しておこうと思います。
プロにはなれず、アマチュアプレイヤーとして続けてきた一人の男の決断です。
あなたにとって、サッカーをプレーする意味って何ですか?
皆さんは、なぜサッカーをプレーしていますか?
サッカーを観る方ではなく、プレーする方です。
なぜでしょう?
- 健康のため
- サッカーが好きだから
- 気の合う仲間と一緒にプレーするのが楽しいから
- 勝てた時の快感が他では味わえないから
などなど、人によって意味は様々あるでしょう。
サッカーをプレーする意味は自分に自信を与えてくれるから
僕にとってサッカーをプレーする意味は、プレーすることで上達していく過程が楽しかったからと、もう一つが「サッカーなら僕は他者に勝てる」と自分に自信を与えてくれるものだったから、という2つになります。
小学生3年生から始めたサッカーは、少年団に入る前からオヤジとアニキとボールを蹴っていたこともあり、周りの子たちよりも上手いレベルからのスタートでした。
つまり最初から、「周りの子たちよりも自分は上手い」という認識だったわけです。
ただ、サッカーに興味を持ったのもサッカーそのものが楽しくて、そして毎日毎日練習するとどんどんと上手くなっていくことも嬉しくて、より一層どっぷりとサッカーに浸かることになりました。
大学までの14年間で、僕は毎日ボールを追い続けました。
14年間の中で嬉しいことも、その倍以上に悔しいことも多々ありましたが、続けてこれたのはサッカーを頑張ることで自己肯定感を保つことができていたからでした。
サッカーをプレーすることに自信が持てなくなってきた
大学までは、時間があったことで毎日ボールを追い続けることができましたが、社会人になり、仕事でキャリアアップしていく中で、僕は徐々にボールと一緒にいる時間が減ってしまいました。
気づけば2020年を最後に、サッカーとフットサルの両方でクラブには所属していない状態が続き、サッカーにおけるチームプレイヤーとしては事実上引退をし、2021年以降は月に1回の個サルを楽しんできました。
ですが、今年に入って仕事がさらに忙しくなり、今年は4月からこの10月まで、今日でようやく3回目を数える程度に留まっています。
これまで、サッカーをし続けてきたから上達し、上手い自分だからこそ自信を持っていたのですが、その自信が今日で打ち砕かれました。
チームに所属しなくなってからも、去年と一昨年は月に1回のペースでも個サルではほぼ無双状態で、シュートは決まるし、ドリブルを止められることもないし、変なパスミスもしない。
個サルのレベルがこれまで自分が経験したレベルよりもかなり低いため、個サルの上級者コースでも余裕を持ってプレーすることができました。
ですが昨日の個サルは、体が思うように動いたのは最初の30分だけ。
後の1時間半は頭ではこうしたいと思っても、体がついてこないプレーに終始しました。
サッカーは勝たなければ楽しくない
当たり前ですが、サッカーは点数によって勝敗がつくスポーツです。
勝つと嬉しいし、負けると悔しい。
「楽しんでプレーしよう」という言葉を耳にすることがありますが、サッカーに限らず全てのスポーツにおいて共通することとして、楽しさは勝った後に生まれる感情です。
試合の中で楽しいと感じるプレーも、全ては相手の逆を取ったり、相手の先を取ったりといった細かい勝負に勝ったことで生まれたプレーなのです。
楽しいと感じる時は、その細かい勝負の勝ちを積み重ねてリズムに乗って生きている時です。
細かい勝負で負け続けていると、試合の主導権を握ることはできず、相手にやられ放題になってしまいます。
試合を終えて楽しかった、という選手はいません。
なぜなら、試合は勝つことで楽しいと思えるからです。
そして僕は、昨日の個サルで細かい勝負で勝ちを重ねることができませんでした。
今までは勝って当然だった細かい勝負に、負けることが増えてしまうほどプレーの質が落ちてしまっていました。
もちろん、その理由は明白です。
やはりサッカーをする機会が激減したから。これに関しては言い訳することはできません。
細かい勝負に勝てるようになりたければ、またしっかりと毎日時間を取って練習することでしかその場所に戻ることはできません。
ですが、僕にはもう勝ちたいという意志も、悔しいという感情も湧いてこなくなっていました。
サッカーはチームスポーツだが、個人スポーツでもある
サッカーはチームスポーツであることは多くの方がご存知ですが、とはいえやはり局面ごとに注目すると、サッカーというスポーツは個の戦いの集合体なんです。
局面ごとの勝負で相手に勝つ選手がいることで、チームとしてボールを保持して、ゴール前まで攻め込み、シュートを決めることができるのです。
つまり、個人として細かい勝負に勝てることが、チームの勝利へと繋がっているのです。
僕のように、細かい勝負に勝とうという意欲が湧かなかったり、負けて悔しいと感なかったりする選手がいると、チームは勝てないのです。
それは僕がプレイヤーとして、そしてコーチをした経験からよく分かっています。
多分僕は、どんどん下手になっていくんだろうなと昨日はっきりと、痛いくらいに実感しました。
自分自身で引退のタイミングを決めることが一番の幸せ
自分自身のサッカースキルの低下、体力の衰え、意欲の減退といった点を理解した上で、僕はプレイヤーとして完全に引退することを決めました。
正直に言うと、ボールを蹴らなくなることに少しだけ寂しさを感じます。
ですが同時に、猛烈な寂しさを感じないほど、サッカーからだいぶと離れてしまったんだなとも思います。
サッカー自体は好きだし、日本代表の試合は引き続き毎回絶対に観るし、海外サッカーの情報も毎週追いかけることでしょう。
ですが、サッカーをプレーする意味は僕にとって無くなりました。
恐らく、周りからはまだ引退しなくても良いのでは、というように映るかと思います。
とはいえまだ動けるし、とはいえまだ上手さは見えるし。
でも、引退のタイミングは僕自身が決めることです。
むしろ自分自身で決めることが、一番の納得感を自分に与えてくれます。
僕は昨日のプレーを持って、サッカーを引退します。
サッカーに「ありがとう」と伝えたい。
長い旅でした。
僕はサッカーが上手いことで、色々な人に話しかけてもらうことができました。
人見知りの僕にとって、サッカーは本当に一つのコミュニケーションツールでした。
僕はサッカーを通して努力する大事さを学びました。
僕はサッカーから、たくさんの悔しさや喜びといった感情を与えられました。
そんなサッカーは、僕に大きな自信を与えてくれました。
サッカーをプレーしていたからこそ、僕は僕でいることができました。
サッカーに心から感謝。
今日から僕は、”サッカーをしない”まつになります。
これから、僕の自己肯定感はサッカーではない「他の何か」からもたらされることを祈って。
