お疲れさまです。
仕事に関して立て続けに退職者が出ておりまして、お隣のチームが危機的状況に陥っています。
去年も大変な目に遭いましたが、どうやら今年も同じような、いやむしろもっと悲惨な状況へと着実に歩みを進めております。
お隣のチームのマネジャーも兼任の信頼していた上司が年末にいなくなってしまい、今いる人たちでなんとかせねばなりません。
僕ら営業チームは少しずつ自立していたので問題なく動いてますが、上司がいなくなったことでお隣のチームで残ったリーダーとメンバーの2人がアップアップになっているように見え、本部長が上司の代わりをやると豪語したものの、知識もなく手を動かすこともなく何となくヤバい雰囲気が漂っています。
ということで、年明けの商談が終わってからは、営業活動を全て止めてお隣のチームの現場に立ち、サポートというかもう僕もガンガン手を動かして業務を必死に回しております。
回っているけどコレなんとかなるんか…という不安しかない状況だと何かに縋りたくなるもので、私立高校のサッカーコーチだった時の監督の教えを必死に思い出しています。
その昔、通信制高校の生徒たちに話したことがあるのですが、
僕の指導が変わるきっかけとなった監督の言葉から、指導者としてのあるべき姿勢を考えてみようと思います。
思い描いていたコーチ像との乖離
僕は私立高校のサッカー部コーチとして働き始めた時、過去の小学生サッカースクールの時の指導から変えて、選手たちとは一緒にプレーせずに、コーチングのみの指導を行っていました。
高校生になると僕がフィールドプレイヤーの1枠を取るよりも、誰かプレーしたい選手に任せる方が良いし、良いコーチというのは自分がプレーして示すのではなく、言葉でしっかりと導けるものであるという固定観念に囚われていました。
そのため、最初の半年は一度も選手たちとプレーしたことがなく、選手たちからは松井がどれだけ上手いか聞かれることがあっても経歴を話すのみなので、上手いのか下手なのか謎な存在として認識されているようでした。
今になって思うと、選手たちに「コーチ下手だな」と思われるのではないかと恐れて一緒にプレーしていなかっただけのように思います。
ただ、そんな謎な存在が言うコーチングに対して選手たちも、信用しきれない何かがあったのだと思います。
僕がコーチングしてもどこか正面から受け止める選手が少なく、「コイツ何言っているんだ」とでも思っているような表情をする選手たちも中にはいました。
コレも今になって思うと、コーチングの勉強はしていたものの、決まりきったことしか言わず選手たちも僕のトレーニングやコーチングから得られる気づきや発見が無く、面白さを感じていなかったのだと思います。
辞めたい自分に向けた監督からのアドバイス
そんなこともあって選手たちと良い関係を築くことに苦労し、半ば選手たちに責任を押し付けるように「僕は真面目にトレーニングを組み立ててコーチングしているのに、この私立高校の選手たちは性格に難があるからダメなんだ」と考え、こんな状況はしんどくて辛いからと退職を監督に伝えました。
その時に、監督から
お前のそのひん曲がった根性を叩き直すまで辞めさせねーよ。
と言われました。
コレ、マジで言われました。衝撃的過ぎて今でも忘れることができません。笑
当時、僕は他のコーチたちと積極的にコミュニケーションを取っていませんでしたし、選手たちに責任を押し付けて自分の殻に閉じこもっていたことを監督も知っていたでしょうし、このまま辞めても何にもならないと思われての言葉だったのだと思います。
そして、2つだけアドバイスをいただきました。
1つはまた次の機会に書けたらと思いますが、1つはまさにこの記事タイトルにある通り
お前さ、アイツらと一緒にボール蹴ってみろよ。
何か見えてくるものがあるかもよ。
と言われました。
改めて選手たち側の目線に立って僕を見てみると、
「新しく来たコーチはコーチ陣の中で一番若くて走れそうなのに、経歴はどうやら輝かしいチームに所属していたわけではなさそう、上手いのか下手なのか?なんかよくわからんしコーチ経験も浅くて自信無さそうにナヨナヨしてるから信用できないな」
と思いました。
後半部分は小学生に教えていたのとは全然違い、高校生はやはりサッカーに対する知識も経験も増しているので、より分かりやすく、より明確に、よりメリットや成長が感じられるように伝える必要があるのですが、ここはまだ足りていなかったのは正直理解できます。
ただ、前半部分は一緒にプレーをして僕というプレイヤーを一度も見せていなかったことが原因なので、監督からのアドバイスもありまずはコレを打破していこうと決めました。
選手たちと一緒にボールを蹴ることによる気づき
そんなこともあり、第二コーチにトレーニング代行をお願いし見学させていただいた
その次のトレーニングで、早速Cチームの選手たちに混じってプレーしてみました。
シンプルに、コーチングだけではかかない大量の汗をかいて気持ち良かったです。笑
という冗談はさておき、一緒にプレーしてみることで自分のメニューに足りないことが明確になりました。
例えば基礎メニューでやっていた3対1や4対2は、最初は楽しくても時間が進むにつれてダレてくるのですが、そこに対する策がありませんでした。
タッチ数を変えるとか、時間制にするとか、罰ゲームを入れるといった工夫がないことも原因であることが見えてきて、その次の練習からその気づきを生かすことができました。
また、実際に一緒にプレーすることで、選手たち個々人の長所や短所に対する理解がより深まり、いろいろな全体への声掛けや個人へのアドバイスのアイデアが浮かんできました。
そして選手たちからは、「勇樹コーチってそんなに上手かったんですね」と驚かれました。笑
そこからは僕のコーチングの内容や質が改善され、選手たちからもこれまでの信頼していなさそうな雰囲気がなくなり、僕の話を聞こう、学んでみようという姿勢へと変わってきたように見えました。
選手たちに自分を曝け出せ
僕のトレーニングが変わってから監督から指摘されることが減ったのですが、しばらくして監督に会った時に、「少しわかった気がします」と言ったところ、
お前はまだ若くて走れるんだから、一緒にやらない手はないわな。
今でこそこんなんだが、俺も昔はしょっちゅう選手たちと一緒にやったわ。
選手のことを知りたければ、まずはお前を曝け出すのが先。
上手くなくても、下手でもいい、どの選手よりも本気でやる。
それを見て選手たちも自分を曝け出してくれる。
選手たちに飛び込んでいくヤツには見えてくるものがたくさんあんだよ。
お前のレベルはそれなりって(監督に僕を繋いでくださった高校の恩師から)聞いてたから、自分で気づいてもっと早くから一緒にやってれば良かったのにね。
ビビるな。
とのお言葉をいただきました。
現場にディープダイブする
辞めてしまった上司を、僕は監督と同じくらいに尊敬していました。
元々は人の話を聞かない猪突猛進で苦手なタイプと思っていたのですが、
1年前に同じようにお隣チームが崩壊した時、営業3人でお隣チームのタスクを全て持ち、僕が持ったタスクがいちばん重たいタスクだったのですが、自タスクもこなしながら密にサポートしてくれました。
そのタスクが重すぎて何度も心が折れかけたのですが、
これは大雑把な俺や彼には絶対にできず、勇樹くんにしかできない。
もし何か知識面で俺が手伝えることがあったらいつでも電話してくれ。
と言って、僕が深夜まで作業をし、どうしても制度面でわからない時に電話したら必ず出てくれました。
コレがなかったら、冗談抜きで⚪︎んでいたかもしれません。残業時間が100時間を超えていたので。
結局、僕が何とか重たいタスクを完遂できたことで春の繁忙期の第一の荒波を乗り切ることができ、年度明けに営業の新人とお隣チームにリーダーが新たに加わったことで第二の荒波を乗り切ることに成功しました。
最終的にはお隣チームの業務を5人(そのうち営業が4人ですが笑)で回し切って繁忙期を乗り越え、その結果もあって上司はお隣チームのマネジャーも兼任することになりました。
それまでは部下として穿った見方をしていましたが、「導きたい成果」をしっかりと定め、そこから逆算して必要な準備を洗い出し、いるメンバーで上手く割り振りながら、自分もタスクを抱えながらも周りをサポートして、プロジェクトを完遂した上司に対して、いなくなってしまった今でも大きなリスペクトを抱いています。
上司のようにはなれないし、上司にはまだ程遠い現場の知識と経験ですが、とはいえ経営陣との間に二度と埋まることのない溝が生まれた上司は恐らく戻ってくることはないので…。
今はただ、現場で必死に僕にできることをやり続けようと思います。
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