お疲れさまです。
このブログを2018年の2月から運営している勇樹です。
よろしくお願いします。
ただ単に書くことが好きで、アフィリエイトで稼ぐ目的は薄く、自分が考えたことを書き残しておきたく続けています。
決して怪しい者ではありませんので、興味のある方はぜひ僕を知っていただけますと幸いです。

このブログの目的
このブログはサッカーをより深く考察し、より良いプレイヤーやコーチを目指す人のための学びになる情報をお届けしようと、社会人1年目の2018年から始めました。
が、2021年からはサッカーの現場を離れていることもあり、サッカーだけでなく幅広いテーマで書いています。
ブログのイメージとしては、トップバーにある通り、こんな感じです。
「サッカー×教育(仕事)をベースに人生について研究する場」
趣味として最も好きなサッカーと、これまで培ってきた教育の仕事をメインに、人生をより深く探究する中で、これは皆さんにも知ってもらいたいと思ったテーマを記事にしています。
30歳を過ぎて少しずつ30年間の点が線になってきている印象なので、僕なりに行ってきた点を打つこと・線で結ぶことを言葉として残し、少しでも他の誰かの参考になればと思っています。
ブログのカテゴリーについて
- トレーニング内容や自身のプレーの振り返りについて
- 「選手」の参考になればと思います
- サッカーの指導、育成、選手との関わり方について
- 「指導者」の参考になればと思います
- 教育、子どもとの関わり方について
- 「保護者」の参考になればと思います
- 仕事やプライベートで考えたこと、人間関係について思ったことについて
- 「僕に興味を持った人」の参考になればと思います
自己紹介
| 性別 | 男 |
| 年齢 | 32歳 ※1994年生 |
| 出身 | 北海道 |
| 在住 | 広島県 |
| 最終学歴 | 大卒(関大 文学部) |
| プレイヤー歴 | 18年 |
| コーチ歴 | 4年 |
個人的に名前は親から頂く大事だと思うので、「勇樹」という名の由来についても書いておこうと思います。
と言いつつ、兄が秀樹の兄弟なので1文字は同じものをで「樹」になり、兄の名前を決める時に見てもらった占い師に、字画と語呂の良さで「勇」を持っていったら1発OKで決まったみたいです。
勇ましく、太い樹のように強く、という想いだそうです。
ストレングス・ファインダーの5つの強み
1.内省
2.未来志向
3.着想
4.慎重さ
5.学習欲
1,2,3,5は戦略的思考タイプで、4が実行力タイプの強みなので、戦略的思考がかなり優位の性格っぽいです。
プレイヤー歴
北海道出身ということもあり、春〜秋はサッカーを、雪が積もる冬はフットサルと雪中サッカーに打ち込んでいました。
小学校編
1年の時に2歳上の兄が通っていた小学校のサッカー少年団に入ったため、練習や試合に付いていき横でボールを蹴っていた。
当時は3年から入団OKだったので、早くやりたいな〜と見るだけだったが、毎日ボールに触っていたので自然と上手くなっていたっぽい。
念願叶って少年団に入団。
1年上の学年までは市内トップを争う強豪校だったが、なんと自分の学年は市内でも最下位を争うチームで、あまりの弱さに市内で「どうした○○小」と噂になり、コーチたちも頭を抱えるほど。
サッカーの試合では1勝もできなかったが、冬のフットサル市大会で人生最初で最後の”最”優秀選手と得点王を獲得。
この頃から良い意味でも悪い意味でも孤軍奮闘する癖が付いたように思う。
この頃からは1年上の学年の試合にも出始め、自分の学年と二足の草鞋となる。
1年上は市内でもトップなのに自分の学年は弱すぎて、自分の学年でプレーする時は周囲に怒ってばかりいた。
(コーチ陣に何度かそれを咎められた)
憧れの地区トレセンに選出されるも、人見知りが酷すぎて周りと一言も話せずフェードアウト。
6年生の遠征に帯同し、ご褒美で2年上の試合に出してもらったのが一番の思い出。
4年生の時と状況は変わらなかったが、上の学年では気を遣ってプレーしていたので試合に行くのが段々と億劫になっていた記憶。
この頃にはトーナメントの初戦で我が学年と当たると優勝できるというジンクスが市内で広まっており、そんな自チームが心底嫌になる。
兄は何度も優勝や準優勝を経験していたが、自身はここまでの3年間でサッカーの試合はほぼ勝てず、フットサルの時期が来るのが待ち遠しかった。
フットサルはたま〜に勝てて、点も決めやすかったので楽しいと感じていた。
下の学年からの突き上げがあり、市内での順位が下の中〜上くらいになり、1回戦はたま〜に突破できるようになる。
地区トレセンはフェードアウトしたものの、市内ではそれなりに名前が知られていて自信がつき始めていたので、2年前に市内に新しくできたコンサドーレのジュニアユースの入団テストを受けたいと親に相談するも、お金がかかるからダメと言われ絶望する。
自分の学年では3年から6年までずっとキャプテンだった。
中学校編
夏休みに兄と先輩と左足を猛特訓し、地区大会準優勝で惜しくも道大会の切符を逃し3年生が引退した後、左サイドハーフでスタメンに定着。
両利きとなり前目のポジションをどこでも対応できるようになったが、急な成長でオスグッドを患い体のケアをしながら試合に出場することに。
念願の地区トレセンの選考会に呼ばれるも落選し失意のスタートとなったが、その次の大会で吹っ切れて自由にプレーしたら初めて上の学年の大会で優秀選手に。
3年生の引退後はキャプテンとして、優秀選手に何度か選出される。
気づけばチームもようやく中の下〜中くらいになり、自身の身体が完成したためこの年は練習試合で怪我をした1試合を除き、全ての試合でプレーした。
(中2以降、身長は3センチしか伸びませんでした笑)
地区トレセンのオファーが届き本心は行きたかったが、良いプレーを見せたのに落とされたという恨みがそれを許さずオファーを蹴ってしまう。
春の大会は調子が良く1部昇格のプレーオフを勝ち上がり優秀選手に選ばれるも、初めて参戦した1部リーグでは参戦全敗。最終的にチームとして市内で中の上くらいとなり、中体連は初めて市のベスト8に。
中学3年間では基本的に2列目がメインで、FWはたま〜にやった程度。
当たり前に高校推薦の話は来なかったが、レベルの高いチームでプレーしたいと思い市内の強豪私立高校への進学を親に相談するも、勉強しろと言われ却下される(が奇しくも、社会人2年目にコーチに就任することに)。
当時、兄が進学した市内で1番の進学校が強豪私立高校の次に強かったため、必死に受験勉強しながら足の指を鍛えた。
高校編
なんとかギリギリの成績で進学校に合格でき、兄の助太刀もあり一足先に春休みの練習から参加。
他にも同期にはコンサユースや地区トレセン出身者がいたが、監督や先輩らの目に留まり、4月からプリンスリーグの試合に帯同し5月にはFWでデビュー。
デビュー戦はゴールこそなかったものの、ポスト2回で得点まであと少しだった(次節で初得点)
高校3年間は基本的に2トップの一角がメインで、たまに左サイドでプレー。
ちなみに筋トレの成果もありスピードが格段に上昇し、入学早々の体育の授業で100m校内歴代1位になる。
インターハイ地区予選のメンバーからは漏れたが、地区予選後のプリンスリーグでは定期的に出場し、一度だけ怪我がちな兄とアベック出場できたのは家族にとって最高の思い出(ちなみに2得点)。
道大会のメンバーに入り、決勝戦に出場。チームとしては準優勝だったが当時は北海道から2チームが全国大会に出場できたため、40年ぶり2回目のインターハイ全国大会の出場を掴むも、全国大会はメンバー登録が17名だったため3年生とスタメンの2年生のみで挑むことになり、残念ながら選外に。
3年生の引退後は好不調の波が激しく、スタメンには定着できずにいたが毎試合コンスタントに出場していた。
3年生がプリンスリーグ道北1部優勝の置き土産をくれたことで、2年生以下で入れ替え戦に挑むも敗退。個人としては途中出場から得点を挙げるなど、次年度に向けた手応えを掴む。
強かったはずの3年生がまさかのインターハイ地区1回戦敗退で早々に世代交代となり、いよいよ自分の時代が来たと思った矢先、監督から「真面目に練習しているように見えない」と言われベンチ外に。
自分自身は至って真面目に練習していたつもりだったが、気に食わなかったらしい。
先輩から「サンドバックの伝統(スタメンが試合前にベンチメンバーをボコボコにすること)」を継承したが、これまで紅白戦において自分がいるチームが負けたことは無く、試合前のスタメンとの紅白戦でも自分が点を取ってベンチメンバーが勝つというアベコベな状況が生まれる。
この年は夏以降公式戦の出場が無い年となり、最後の方は紅白戦にすら出してもらえなくなる。後になって監督やキャプテンからは、「あの時のお前は酷かった」とだけ言われた。笑
「意味わかんねえなあ」と思いつつもサッカーは好きは変わらずベンチ外メンバーと仲も良かったので、ゴール裏でワイワイ練習しながら、なんなら慕ってくれる後輩たちにサッカーを教えるのが楽しかった思い出。
それが逆にウザかったらしい。それは完全に当てつけでは・・。苦笑
この頃はメッシに憧れて左足のみで練習をこなしていた。
相変わらずベンチ外が続いたが、インターハイ地区予選前最後のプリンスリーグで最後のチャンスを与えられる。
久しぶりの試合なので試合会場までイメトレしながら自転車に乗っていたら電柱に激突し、前歯を折る。
監督に病院に行くと言ったところ、「いいから来い」と言われて試合にも出される。
前歯を折って軽くなったからか、5人抜きする(キーパーも交わしたのにシュートを外した…)など調子の良さを見せ、苦楽を共にしてきたベンチメンバーを湧かせた。
インターハイ地区予選で久々にスタメンに復帰し道大会進出まであと1勝という試合の当日に体調を崩し、チームも敗れ引退となる。
(進学校だったので、選手権まで続ける3年生は0名)
これまでサッカーが全てだったためもぬけの殻となり、勉強もロクせずに気づいたらセンター試験当日となる。
(マジで何も記憶がない、ただただ机の上でぼーっと考え事をしていた)
センター試験は無事失敗し、親からは国公立大学しかダメと言われていたので、二次試験が小論文のみで一発逆転可能の山形大学文学部を受験するもあえなく失敗。
MARCH・関関同立なら許すと言われ、関西に行き独りになりたいと関西大学を受験するも3点足りずに落ち、浪人生となる。
言うても進学校だし関西大学なら行けるべ、と思っていたのであのハガキを見た時の衝撃は凄まじかった…。
浪人では絶対に私立NG国公立のみと言われ最初は兄と同じ北海道大学を志望するも、やはり関西に行きたいと思い大阪大学に志望校を変更して夏までは勉強を頑張る。
夏休みにまだ片思いを続けていた元カノと再会してしまい、関東で大学生活を謳歌している姿に打ちのめされ勉強のやる気が0になる。
秋からは何故かボルダリングにハマり、隔週で寮の浪人仲間と肉体改造と称してボルダリングジムに通うようになる。
ボルダリングジムの費用を捻出するために、セカンドストリートに物を売りに通うという勉強そっちのけの生活を過ごすことに。
結果として理数系科目が全く伸びず、関西に行きたいという意欲だけは大きかったため親に土下座して私立OKの許可を貰う。
同志社大学と関西大学と近畿大学を受験し、同志社は落ちたが関西と近畿が受かり、関西大学への進学を決める。
上半身はガッチリしたが、体力は0となった状態で大学へ。
大学編
当時、関西大学は関西大学リーグを優勝するほどのレベルで入部にはテストがあるという噂を聞き、浪人のブランクもありビビって断念。
でも本気で何かをしたいなと思ってキャンパス内を歩いていると、マッチョ3人に囲まれてアメフト部に何故か入部することに。
2ヶ月ほど続けたが、拘束時間が長すぎたこと、太れなかったこと(試合に出るためには体重70kg、ベンチプレス100kgはマストと言われた)、そもそもアメフトに興味が湧かなかったため、やっぱりサッカーがしたいと伝えて退部し、家の近くを拠点としていた大阪府サッカーリーグ2部所属のチームに入団。
左利きと勘違いされ、途中から右サイドでスタメンとなる。
チームとしては攻撃がチグハグで勝ちきれない試合が重なり、最終的に2部残留となり自身も人生で初めて無得点でシーズンが終了。
冬からはチームの先輩に誘われて、兵庫県フットサルリーグ1部のチームに入団する。
チームにいた3年生の先輩3人が就活で試合に来なくなり、チームメンバーもギクシャクしていたので退団し所属はフットサルのみになる。
フットサルでは守備に難アリで公式戦の出場時間が伸びず、悶々とする日々を送る。
1年生から入っていた古代エジプト研究会のエジプト人留学生に誘われて、大阪大学の留学生を中心とした多国籍チームの練習に参加することに。
フランス人の監督に怒られ(トルシエ監督みたいに常に怒っていた笑)、イギリス人のおっちゃんに指示され、中国人のおっちゃんにどうか点を決めてくれと祈られ、エジプト人の先輩にボール来れと要求されながら、毎週インドネシア人のチーム他と練習試合をすることに。(日本人もいました)
1年生の時のチームよりもレベルは低かったが皆試合に熱く、激しく、取り組む姿に感化されて、もう一度自分を試してみようと考える。
冬に大阪府サッカー1部のチームの練習に参加し入団を許可されるが、自分が一番下手という人生で初めての状況に陥る。
後に、なぜ入団を許してくれたのかキャプテンに聞いたところ、「下手だったけどやる気だけはあったから、若いしいいかーって」と言われた。笑
再編中
再編中
社会人編
再編中
再編中
再編中
再編中
現在
サッカーもフットサルも引退し、最近は住んでいる地域のフットサル場で開催されている個サルにたま〜に参加し、体を動かしています。
コーチ経歴
大学編
大学内の部活にもサークルにも無所属で、1年生の時に入った社会人チームを辞め、焼肉屋のバイトを辞め、古代エジプト研究会だけは続けていた中で何か面白いバイトはないかなと思い、「サッカーが好きだしサッカーのバイトするか」と思い探したところ、全国にスクール拠点があるサッカークラブが大学生コーチのバイトを募集しており応募。
サッカー経験もそれなりだったので面接は難なく通り、近所の2拠点で月/水金で働くことに。
サッカーコーチに応募した割に、「自分は子どもが苦手」という意識を持っており、なかなか上手く子どもたちと関われていないなと日々難しさを感じていた。(が後になって、他のコーチ陣や保護者の方々からはその逆に思われていたことを知った。)
新年度に入り、よりレベルの高い練習をしたい子たちだけを集めた選抜チーム(1〜3年生/4〜6年生の2カテゴリー)のコーチになる。
水金拠点の社員コーチたちとはあまり仲良くなれなかったものの、月曜拠点の社員コーチとはかなり打ち解けることができ、半年ほどコーチをしてきて慣れてきたこともあり、「オレは他拠点を持っているから行けないんだけど、人が足りないみたいだし勉強にもなると思うから行ってみない?」と誘われて「わかりましたー」と返事してしまう。
後になってヤバい土曜のコーチは無理だ受けなきゃよかった、と思ったのも時すでに遅く新シーズンが始まってしまい、案の定また一から新しいハジメマシテの子どもたちと関係を築くのに苦労した。
主には1〜3年生のカテゴリーを教えつつ、たまに4〜6年生ではミニゲームの人数補充として参加。
冬時期から就活が始まったことで選抜チームのコーチは年度いっぱいとなったため、最後に子どもたちからTシャツのプレゼントをいただいたのは良い思い出。
時間はかかったがなんやかんやで子どもたちと仲良くなれた気がする。
就活をしながら週1で月曜拠点を冬まで続け、卒業論文を書き終えてからは旅に出るため退職することに。一番お世話になった月曜拠点コーチも年度いっぱいで名古屋に異動とのことで、月曜拠点は解体となる。
月曜拠点の社員コーチからは、
「これまで入っては辞めてと子どもの入れ替わりが激しかったけど、勇樹くんが入ったことで子どもたちが辞めずに定着して、スクール生の人数も伸びて社内でも評価してもらえた、助かった〜ありがとう」
と言っていただけたのが嬉しかった。
社会人編
高校サッカー部のコーチを勤めた1年間、チームのトップは都道府県プリンスリーグ優勝&選手権全国大会に出場しました。
僕は第五コーチとして、カテゴリーCを教えていました。
このブログに載せているトレーニングメニューは、サッカーコーチ時代に監督や他のコーチからのアドバイスを基につくったものや、監督や他のコーチ陣が実際に行っていた練習メニューのどちらかです。
そのため、トップチームが実際に行っていたレベルの高いメニューも、このブログの中にはいくつかあります。
仕事経歴
高校までは北海道で大学は大阪へ、就職で再び北海道へ戻って以降、広島→兵庫→広島→千葉→広島(Now!)となっています。
気づけば早いもので、2026年で社会人10年目に突入しています。
農協を辞めた時と、サッカーコーチをやると言った時に親に泣かれましたが、なんとかキャリアを盛り返して教育現場を転々とした後、今は奨学金事業を手がけるITスタートアップでサラリーマンをやっています。
仕事の変遷
| 社数 | 組織ジャンル | 勤続年数 | 勤務形態 |
| 1 | JA農協 | 半年 | 正職員 |
| 2 | HP制作会社 | 半年 | アルバイト |
| 3 | 私立高校サッカー部 | 1年 | 契約職員 |
| 4 | 町教育委員会 | 2年 | 契約職員 |
| 5 | 通信制高校 | 2年半 | 正職員 |
| 6 | ITスタートアップ | 記録更新中 | 正社員 |
再編中
再編中
再編中
再編中
再編中
再編中
保有資格
サッカーに関しては、一応JFA公認C級コーチライセンスを保有しています。

「勇樹」なので、これで本物だとご理解いただけますと。
コーチ経験もありつつ、ちゃんと資格も保有しております。
その他、
- フォークリフト運転技能者
- 食品衛生責任者
- 防火管理者
といった資格を保有しています。
ニッチな資格ばかりです。
これからやりたいコト
このブログを始めて10年近く経過し、社会に出てからは10年が経ちました。
10年というキャリアの中で色々な仕事、人と出会い、自分を掘り下げていく中で僕はやっぱり
- サッカーが好きで
- 子どもの成長を見守るのが好きで
- 一人一人と深く繋がることに幸せを感じる
ことが分かりました。
なので、将来的に僕は
「僕の経験と教育理念が詰まったサッカースクールで子どもたちや保護者の人生を伴走する」
ことをしたいです。タイミングとしては、
早ければ2029年から、現職の事業が恐らく一区切りつくタイミングでできたらと思うので、このブログも一つの準備としてやれることを1つ1つ積み重ねていこうと思います。
これまで、自分の軸としてあったサッカーという好きに、これまで悩み苦しむ中で自分なりに考えて出した答えを掛け合わせ、サッカーを通して人として成長できる場を作り、未来ある子どもたちに次の一歩を踏み出す後押しをできたらなと思っています。
旅行YouTubeもやっています
YouTubeチャンネル:日本ヲススメ
気軽に遊びに来てください。
