少しずつ寒くなるこの時期、朝は天気予報の確認が欠かせない…んだが、最近どうもその習慣が良くない気がしています。
なんというか、情報や数値に支配されている感じ。
みなさんわかりますかね?
確かに情報は便利なのですが、情報によってその日の行動が決められていることに気づいた時、急に窮屈さを感じました。
今回の記事は、この窮屈さをみなさんによりわかりやすくお伝えするために、僕自身の日常を洞察しながらどう変えるべきかを探ってみます。
お暇な方は、お付き合いいただければと思います。
日常におけるデジタル機器(情報や数値)の登場シーン
まず、この窮屈さというか違和感の正体を探るべく、実際に僕がどれだけデジタル機器に頼る日常を送っているのかを、1日のスケジュールを通して迫ってみます。
ワタクシまつをの日常におけるデジタル機器の登場シーンは、以下の通りです。
起床時
- Apple Watchの目覚まし機能「手首ブルブル」で目を覚ます
- Apple Watchで睡眠時間の確認
朝の準備
- iPhoneで天気予報と気温を確認して、服装を決める
- iPhoneのマネーフォワードで家計簿を確認する(証券口座含む)
- Apple Watchで5分間の筋トレと5分間のマインドフルネスを記録する
通勤〜退勤
- Apple Watchでエクササイズ記録(サイクリング)
帰宅時
- Apple WatchとiPhoneを充電する
- お風呂の中でYouTubeを鑑賞する
就寝時
- 心拍数と睡眠時間を測るためにApple Watchを装着する
デジタル機器が便利なのは間違いない
こうやって実際に自分で振り返ってみることで、日常の中にどれだけデジタル機器が浸透しているかがわかります。
いや〜、なかなかに衝撃的ですね。
そんなに何を測るん?
って我ながら思いますが、使用している最中の自分はそれはそれはもう有難い限りの畏敬の念を、これらのデジタル機器に払っています。
「〇〇の情報が知れて便利だな〜、△△の数値がわかって良かったな〜」
デジタル機器を活用することのメリットとしては、
- 足りないことが何か明確になる
- 故に、自分が今すべきことの答えが具体的にわかる(特定できる)
といった点でしょうか。
デジタル機器を身にまとうと、目の前の世界が数字になる
僕の日常の使用例もなかなか極端と言えば極端ですが、とはいえみなさんの中には僕よりももっと色々な場面で使っている人もいるのでは?
でもそれって、本当に必要な用途なのでしょうか。(自分で言うのもなんですが)
メリットは逆にデメリットにもなり、
あれをしなきゃ、これをしなきゃと自分自身に焦りを感じる
ようになります。
本来は健康のために付けているApple Watchも、ある意味でメンタル面にとっては不健康になり得るものなのかも知れません。
数字が自分の足りないことを示してくる分、より一層数字に目がいってしまい、故に画面から目が離せなくなるというジレンマに陥ります。
デジタル機器の登場シーンを削減する
Apple Watchを付けてちょうど2年に差し掛かるタイミングで、なんかやばいかもということに気づき、ちょっと日常を変えてみることにしました。
実際に、この1週間で僕は下記のような試みを実践してみました。
Apple Watchの電源を切った上で、
起床時
- 自然の光で目を覚ます
- 睡眠時間は身体のスッキリだるさ加減で測る
朝の準備
- 外に出て空気の寒暖を感じつつ空の様子を眺めて、服装を決める
- iPhoneのマネーフォワードで家計簿を確認する(証券口座含む)
- 筋トレとマインドフルネスの時間は気分次第
※我が家の資産管理はやはり毎日睨めっこすべき、という断固たる決意は変わらず!
通勤〜退勤
- 20分ちょっとのウォーキング
※寒くなってきたのでサイクリングだと手が冷たいし、ウォーキングの方があれこれ考えることができる!
帰宅時
- iPhoneを充電する
- お風呂の中でぼーっとする
就寝時
- 特になし
メルカリでApple Watchを売却
実験も成功し、Apple Watchが無くても生きていけることがわかったので(当たり前か笑)、メルカリで売却しました。
23,000円で売ることができました。
手元に置いておくとね〜、どうしても「やっぱり便利かも?」と思って使ってしまうんですよね。
人の決意は弱いので。
また、電子機器は売るタイミングが早ければ早いほど、高値で売ることができます。これを持っていて貴重性が出るのであれば手元に置いておいても良いですが、基本的に電子機器は次々に新しいモデルが登場しますからね。
デジタル機器を手放すことで自分自身の”感覚”が戻ってくる
実際にやってみると、画面を見なくなった代わりに目の前の景色に注目するようになりました。
目覚ましがないことで、逆にすんなり目が覚めました。
起きた時に腕に時計がないと開放感や自由を感じました。
普段は気に求めていなかったプランターのバラが美しいと感じました。
外に出てみると、天気予報を見るよりも、出たその瞬間に服装のイメージがパッと湧いてきました。
途中で止めてもいいや、と自分に優しくなると意外と思っていたよりも頑張れました。
通勤中は仕事脳に頭を切り替えることができ、退勤中はその日の反省をすることができました。
明日へのモチベーションにもなりました。
こんなことは、デジタル機器という名の情報と数字に支配されていた時には、とても感じることのできなかったことたちでした。
自分は自由なんだな
と改めて感じた素敵な1週間でしたよ。マジで。
結局、デジタル機器の活用シーンは個人の好み
ここまで、あたかもデジタル機器を身にまとうことが悪のように話を展開してきましたが、最初にお伝えしたようにやはりデジタル機器の方が便利で、融通が効くことは間違いありません。
個人的にも、Apple Watchを買った当初はその便利さに興奮し、なんなら2年もの間使い続けてきたわけですから。
ただ、不意に僕は気づいてしまったのです。
「あれ、別にデジタル機器ってそんなに重要じゃなくね?
むしろ要らなくないか?」
と。
一度この考えが頭の中を曇らせてしまうと、もうこれまでのようにApple Watchを毎日充電して、毎日つけ続けるなんていうことができなくなってしまいます。
なんだか、とてつもない浪費家電を腕に巻いているだけちゃうか…と。
やばい、また悪口になってますね。
要は、日常でデジタル機器を使い倒すのか、自分の感覚を大切にし、磨いていくのかはそれぞれの自由です。
僕は今回の気づきをきっかけに、やっぱり自分で感じた通りに動いていく方が自由な気がして楽しいという結論に至りました。
ここまで読んでくださったあなたは、いかがですか?
もし、例えば今回の記事でよく登場したApple Watchを付けたことが無ければ、一度付けてみて体験するのも良いかもしれません。
一度逆の立場を経験してみることで、今の立場の良さに気づくなんてことも多々ありますからねえ。
デジタル機器”任せ”から脱却しよう!
デジタル機器が便利なのは間違いないものの、全てをデジタル機器に委ねることだけは避けた方がいいというのが僕の結論です。
自分の感覚も保ちつつ、それだけでは補完できないところをデジタルに任せるのが一番ですね。
とはいえ、昔の人たちはデジタル機器がなくても立派に暮らせていましたし、それは今の僕らだって変わりません。
デジタル機器がないとやっていけない、という極端な感覚性を損なった日常に陥らないよう、日々の見直しも大事なのだなあということも、今回の検証を通して痛感することもできました。
みなさんもぜひ一度、自分のデジタル機器と日常の関係性を見直してみてはいかがでしょう?
画面から目を上げてみるとそこには美しい景色が広がっている、かも?