【マンガ・バガボンド】物事の狭い価値観に捕らわれた心を開放する名言まとめ

 

 

心は折れていないつもりであっても、やはり車が無くなったというショックはあるようで。

今日は急遽休暇を頂いて、事務手続きに奔走していました。

 

ふと部屋で我に返ると、これから先の車が無い生活を想像するとゾッとしてですね…。

「いつか経験したことのあるゾワっと感だな」と思ったんですが、これはアレです。昨年度この町に来た当初、あまりの田舎さに「ほんまにここで数年間生きていけんのか…?」と不安になったあの感覚と同じでした。

今のところまったく問題なく生きてこれたので、車が無くても恐らく何か月かで慣れるでしょう!

 

先月末に、大学の卒業時に売っぱらったバガボンドを改めて買い直してみました。

そんでもって本棚を買い足してのプチリフォーム。

我ながら落ち着く書斎(もどきのスペース)ができたと思っています。

てなわけで今日は久しぶりに、バガボンドの名言を書き連ねていこうかな!

 

 

 

『バガボンド』6巻

 

 

俺は強い そう思いたかっただけなのか 『強い俺』は虚像だった


胤舜との1度目の対決時に、「殺される」ことを恐れて逃げた後に武蔵が感じたこと。

最新巻まで読んでから改めて最初の方の巻に戻ってくると、この時の武蔵はまだまだ感情に動かされているし、弱さを見せる場面も多々あります。

でもこうやってその弱さを認め、向き合っていくことで今後成長していくことを考えると、こういう挫折感の大事さに気づかされるますね。

 

 

あらゆる状況を…時に己の命を業火にさらすような状況を乗り越えてこそ 心は充実を見る


打ちひしがれる武蔵に掛けた言葉ですが、辛い経験を乗り越えたことのない者には心の充実は訪れないということでもあります。

辛さの中にいる時はそれに捕らわれがちだけれど、人生では無自覚のうちに何度もそういった経験を乗り越えてきているはず。

なので辛さだけに捕らわれず、常に乗り越えた先の心の落ち着きを辛さの中においても持っておきたいものですな。

 

 

どんな剛の者でも真剣勝負は怖い…じゃがその恐怖から目をそらさずに受けとめ それを傍らにのけておくことができる それが本当に強い物じゃ


昔から「強いメンタルを手に入れるには?」と考えていたけれど、そもそも常に強くいることなんて不可能。

なぜなら、僕らには感情というものがあります。それは無意識・反射的に反応してしまうものであるけれど、理性でコントロールすることはできるはず。

ここでの胤栄の言葉は、まさに「感情を自分の手中に収めよ」と言っていると僕は感じました。

 

 

お前の何をどうすれば勝てる?…わかりゃせん 負けを今一度見つめ直さぬうちはの


僕が失敗の記事を書く時、反省点は毎回必ず準備の怠りに行き着きます…。

常に自分自身と向き合っていないと、いつだって僕は、恐らく誰しも油断してしまうのではないでしょうか?

 

このブログを始めていなければ、今の僕はクズ野郎だったことは間違いありません。今もそんなにデキた人間ではありませんが。(笑)

しつこいくらいに毎回自分の失敗と向き合うことでしか、成長していくことはできないというのを、武蔵もその姿を持ってして僕ら読者に示してくれます。

 

この「許せん!」という自分への自戒の警句は僕もよく使っています。大学時代に読んだこれが、意外と月日を経て浸透していたんだなあと思います。

 

 

俺は何をしているのか…こんなところで 少しずつでも上っているのかそれとも…ダメになっているのか そうじゃないって言ってくれ


来たる胤舜との再戦に向けて、山に籠り修業をしながら夜空を見上げて、そしておつうのことを思い出して。

作中で武蔵は、「武」の道にひたむきに邁進する人間として周囲の人たちからは解釈されているけれど、実は「武」以外のことにも度々捕らわれています。特に最初の方は、その対象がおつうですね。

 

おつうを想いつつも、自分には最も優先しなければならぬ「天下無双になる」という目標がある。

 

この言葉はまさに僕自身が思っていることを言い当てられたようで、この巻でもっとも印象に残っています。

僕も常に「本当にこの田舎で成長できているのだろうか?」という疑念を抱きつつ、「成長できているはずだ」と半ば強引に信じ込んで進んでいる自分がいます。

だからことあるごとに、自分を大きく見せようとしているのかもしれないな…とか。

良くないよなあ。

 

 

 

『バガボンド』7巻

 

 

人は俺を避けた 俺はもっと人を避けた でも本当は…お前と話すのが楽しみだった おつう 俺にはお前だけだったんだ


胤舜との再戦を前に、独りおつうを想う武蔵。

武蔵のこういう誠実というか、何に対しても素直なところが僕は好きですね。

おつうと一緒に居られないことを自分に言い聞かせながらも、それでもやはり心のどこかではおつうを想い続けています。

 

当たり前だけど、人間は言葉にしなければ想いは伝わらないけれど、伝わらなくともそれでいいという想いもあっても良いと思う。

もちろんそれはその人の自己満足にはなってしまうけれども、それを否定することは他の人にもできないはずですよね?

その人の気持ちは、その人だけのものだからさ。

そう思わせてくれるのが、武蔵のおつうに対する気持ちだと思う。

おつうのような存在がいる武蔵が羨ましいぜ!

 

 

天地自然に四季のあるように…人間の修行などもまた繰り返す四季の如し


大学時代に読んだ時はこの言葉が一切目に留まらなかったけれど、社会人になって仏教や禅の教えを少し仕入れてからは、「お?」となった言葉。

 

伊勢守は柳生と宝蔵院の二派の師匠であるけれど、剣士の顔ではなくなんとも穏やかな顔をしています。でもエゲつなく強い。

その人の言葉ですが、修行にも、勉強や仕事だって四季と同じで常に春のような温かさと期待に膨らんだ時期ばかりではなく、時には秋のように冷たい風に当たらなければならない時期もある。

苦があって楽もある。

その四季折々を噛みしめて一歩ずつ歩みを進めていくことが、成長というものの正体なのではないでしょうか?

 

 

踏みこめば…吸いこまれるように 倒そうと力を込めるほどに…自由を失っていく 敵はいない 俺が対峙しているのは…俺自身?


伊勢守と打ち合いをする時に、石舟斎はいつも己を見透かされているような、あるいは己自身を映されているような気がしていました。

 

この漫画では戦い自体が会話のようなものなので、戦いの最中に自分と向き合うことになるけれど、僕ら一般ピーポーにとっては普段の会話がそれなわけで。

会話相手は常に僕ら自身を映し出していて、相手は常に僕らの気持ちと呼応していると言っても過言ではありません。

僕らが敵だと思っている人も、実は敵ではなくて「僕らが敵だと決めつけている」に過ぎないのです。

であれば石舟斎が言うように、そもそも敵(という概念)はこの世には存在していないのかもしれない。

僕らが勝手に作り出した幻影であって、言葉遊びのようだけれど、敵ではなく「ただの人」です。

でも逆に、仲間も突き詰めれば「ただの人」に過ぎないと考えると、ちょっと怖くなりますね。

 

 

我が剣は 天地とひとつ 故に剣は無くともよいのです


相手を殺める武器も、そうと決めつけているだけで本来は殺めることだけが目的ではないはず。この漫画では刀に当たるけど、僕らであれば発する言葉と言い換えてもいいかもしれないね。

 

刀だけではなく、言葉も、世に溢れる物質的なものもすべて、あるとそのものに限定的な目的を見出そうとしてしまうけど、それ以上にすべてはどこかしら繋がっていると考えることができれば、何も特定の目的に縛られる必要もない。なぜなら目的も元を辿ればすべて繋がっているから。

 

だから無刀でも強い者は強い。すべてに繋がりを見出すことができているから。

敵対する相手にも繋がりを見出すことができてさえいれば、切られることもなく傷つけることもせずにいられる。

「我」に捉われてはいけないんですね。

 

 

 

 

相変わらず言葉の一つ一つが深すぎて困りますが、学生時代とは違う視点で読めているので楽しいですな~。

次回も乞うご期待!

 

 

 

 

【マンガ・バガボンド】成長の喜びを感じたい時に読みたい名言まとめ

 

 

カテゴリー: PHILOROPHY名言

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