なんやかんやで北海道もまだまだ日中は暑く、明日からはまた30度を超えるそうで。

シンプルに辛いです。

とはいえ、夜は16度くらいまで下がるので、寝やすくて良いですね。

一番しんどい時期は過ぎてくれたと思っています。

さて、今日は教育について書こうかなと。

最近は教育のことについてはあまり書いていませんでしたが、今の業務で一番重要なことは生徒たちに少しでも成長してもらえる環境を提供することであります。

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ

by山本五十六

という有名な言葉を皆さんご存知かと思いますが、良い言葉ですよね。

ただ僕は、この中にもう1つ言葉を入れなければならないと思っています。

それは、「一緒にし」という言葉です。

人に何かをやらせる時、それが成立するのは損得関係が成り立っているか、上の者が下の者に命令をだすかのいずれかになります。

僕の勤めている公営塾は、民間の塾とは異なり非常に低価格でサービスを受けることができるため、勉強に差し迫った需要がない生徒も気軽に利用することができます。

勉強というわかりやすいニーズがある生徒は、損得関係が成り立つため、僕らもその生徒に対して勉強をできるようにするためにすべきこと「させる」ことができます。

つまり、上記の名言のように「すべきことを教え、やらせて、できたら褒めてやる」ことで、そういった生徒は伸びていきます。

もちろん生徒によって、その日のコンディションに差が出てくるため進捗は変わってきますが、大方このやり方で着実に進んでいくことができるでしょう。

しかし、中には勉強にニーズがない生徒もいます。特に公営塾のように、低価格で勉強を教えてもらえることにメリットを感じているのではなく、学校とは別の安心・安全な場を求めて通う生徒にとっては、勉強を「させよう」としてもニーズがないためモチベーションが上がりません。

そういった生徒は自分から何か「したい」という目標や課題を持ってきてはいないし、その場にいること自体に満足しています。

既に満足しているものに+αをさせるというのは難しくて、満足を更に超えるサービスを提供しなければなりません。

勉強の仕方を変えるのも一つの手ではありますが、それとは別に勉強以外の学びの選択肢を用意することも必要になります。

その際に大事なことこそ、「一緒にす」ることです。

つまり、コチラ側が選んだ選択肢の一つを、ただやって見せて教えるだけではその選択肢に興味が向かないので、「一緒にし」なければならないのです。

まず一緒に「あーだこーだ」言い合いながら、少しできただけで褒めてあげながら進めていくことで、その時間を楽しいものと認識させます。

それを何回か繰り返すことで、徐々に自分だけでものめり込んでいきます。

そのタイミングで手を放してやることで、ようやっと「させる」領域に達することができるのです。

要は、この「一緒にす」るという面倒なひと手間を、どれだけ面倒がらずにできるかどうかなわけですね。

現代の教育においては、生徒に対する教育者の割合が低いため、それぞれの生徒にここまで厚いサポートを施すことができない環境になってしまっています。

生徒にとってももちろん不幸なことではありますが、先生になりたくてなった人も、多くはこういった生徒との密な関係を築きたいと考えて、教育業界に足を踏み入れた人も多いことでしょう。ただ現実は、クラスの人数が多いだけではなく、その他の業務に忙殺されて、気づくと最初に望んでいた状況とは程遠いものになり、さらにはその状況にも慣れきってしまって、恒常性維持機能でもう最初の希望の形に変えることはできなくなるという悪循環です。

誰も得しない、誰も思い描いていたものとは異なる状況になるという不幸な現場だと思います。

教育の制度を変えようとしても、文科省という国の組織に働きかけなければなりませんが、そんなことはどだい無理な話ですよね。

制度を変えるのではなく、自分たちで教育のサポート体制を強化できる範囲で行うことが、自分たちでコントロールできるアクションであります。

そういう意味では、公営塾をつくった町というのはこういった教育上の問題に対して、いち早く待つ姿勢からアクションを起こす姿勢に変えたことになります。

僕の町も、非常に賢い選択をしたのだなと思います。

現状はまだサポート体制の構築段階のため、完璧に上手くいっているとは言い難いものの、それは時間が解決してくれることではないかと思います。

もちろん、サポート体制に関わるそれぞれの組織の意識合わせ、つまりコミュニケーションの量を増やすことが前提にはなりますがね。

話しが逸れましたが、サービスの対象者の状況を見て、サービスの質を変えなければならないわけです。

僕の塾であれば、勉強を「させる」というアプローチをするのではなく、まずは何か少しでも学びになりそうなことを「一緒にす」るというアプローチの方が、生徒の満足を引き出しやすいというのが結論です。

時間もかかりますし、用意した選択肢の中には答えが見つからなかったため、また更に選択肢を用意するという、これまた時間のかかる作業を必要とされるかもしれません。

ある程度仮説を立てて、「この生徒であればこれがウケそう」という選択肢を絞ってアプローチを掛けていかないと、時間の浪費が激しくなります。

時間こそ有限というのは僕自身も、そして相手にとっても同じことです。

両者が不幸にならないための、仮説思考を鍛えなければなりませんね。

カテゴリー: LIFE家族

まつを

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