こんばんは。

あっという間に1週間が終わってしまいました。

 

今週は町に同い年の若者をたくさん発見したり(知り合いもいた)、久々に企画を作って学校の先生方に提案したりと、いろいろな発見のある一週間でした。

1年以上前にへんてこなWeb会社にいた時に、営業で提案をしたことがありますが、その時は今ほど人間関係の分析を行っていなかったがために、自分が自分がになって失敗の連続でした。

時を経て、今回の提案は僕の説明は極力シンプルにして、相手の話を聞く時間を多くしました。準備という面においても、これまで意識してきたことを忘れることなくどういった質問がきそうかをあらかじめ予測しておいたので、割とすんなりと返答できました。

結果としては、実施するということで決まり。あとは日時の調整と。

素晴らしい。ちゃんと失敗を生かすあたり、やはり転んでもただは起きぬ男。(笑)

冗談はここまでにしておいて、大事なのは実施して結果を出すことなので油断してはいけません。次の準備はもっと大変なので、逆算して詰めていきたいと思います。

 

とまあ仕事の話はここまでにして、最近芸術に関する記事を読んでいて思ったのですが、僕らサッカープレイヤーやバスケットプレイヤーのドリブルも芸術って言えるんじゃないか?とふと思ったわけであります。

というと、本当の(というとちょっと変ですが)芸術家たち、例えば絵描きや作曲家など、からは何言ってんねんと言われてしまいそうです。

 

ですが、人が「ソレ」を見て美しいと感じるものを芸術と言ってもいいのであれば、僕からするとサッカーの華麗なドリブル突破のシーンは最も【美しい】と感じるものであるので、それは芸術と言っても過言ではない。

 

絵画や音楽ってある意味で造形が決まっているからこそ、繰り返し再現することができる。もちろん、まったく同じ絵や演奏というのを作り出すことは不可能であるが、極限まで似せることは可能である。

 

ただサッカーやバスケットのドリブルというものは、22人ないし10人が試合時間の中で偶発的に起こるものであり、「ソノ」試合内容というのは別の試合で再現することは勝負事であるがゆえに不可能であり、言ってしまえば「ソノ」試合の中でさえ再現は不可能である。

フィールドの中にいる人すべてが同じ配置に位置することは2度と起き得ず、したがって美しいドリブル突破は再現されることはない。何度もリプレイされることはあるけれど。

 

再現性が低く、即興性が極めて高いモノに人間は惹かれると考えることはできまいか。僕は演奏とかでも、フツーのは「へー」って感じで聞いているが、即興でその場でジャジャジャンと弾かれるとブワっと鳥肌が立つ。

もう二度と同じものは聞けないからこそ、ドリブルでは見ることが出来ないこそはかなさを感じるとともに究極の美をその中に見出しているのかもしれない。

だからこそ僕らは、いつの時代もドリブラーに熱い声援を送るのかもしれない。

でもここまで書いていて思ったのは、スルーパサーにも同じことがいえるか。(笑)

要するにファンタジスタだな~。いかに美しく再現性の低い圧倒的な美を見せるか。

そういう意味でやっぱり、エレガントなプレーを見せていたのがこの人。

 

 

サッカー界一の芸術家、ロベルトバッジョ。

そういえば、今度久々に好きな選手でも紹介するか。

 

なんかあまり今日の内容はあとまっていませんが…すみません。

これからの時代、美しいドリブル突破に対する褒め言葉は、「そのドリブル、アートやな」となるかもしれない。

なんて。(笑)

 


まつを

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