今年のサッカーでの目標は、チームのミスを全て自分事と捉えることにする。
というのも、昨年度はたくさんのチームの練習に参加させてもらっても、レベルが低いことにイライラしてしまったが、残念なことにイライラしたところで地域のレベルは上がらないのだ。
イライラするということは、ミスを他者に押し付けてしまっている状態なのだ。それはつまり、自責の念を持たないという責任逃れだ。責任を負わない者に成長はない。
確かに昨年はチームに所属しなかったが、かといってサッカー熱が冷めたわけではない。僕はまだまだ上手くなれると思っている。それなのに、練習ゲームで上手くいかない時、他者のせいにしてしまっているのだ。
サッカーはチームスポーツだ。チームが上手くいっていないのには、少なからず自分にも原因がある。それを探そうとせず目を逸らし、他人に責任転嫁する。
プレイヤーとしては恥ずべき行為だ。
僕はまだ、プレイヤーとしても上手くなりたい。昨年度のコーチの経験を経て、サッカーの知識を大きく増やすことができたが、それらを実践できたわけではない。実際に自分でその難しさに触れてみることで、知識が本当の知恵になるだろう。
僕は守備が大嫌いであった。しかしコーチをしてみて思ったことは、守備ができない選手は試合には出せないことであった。
大阪時代は試合に出たいがために、守備を徹底的に磨いた。
ところがどうだ。自分が周囲よりも上手い環境に来てしまうと、人間は傲慢になる。それは自分についても当てはまることであった。天狗になっていたのだろう。高校時代の自分に逆戻りしてしまった。
取り戻さねばならない。あの頃の熱さを。あの頃の必死なプレーを。
あの必死さがあったからこそ、チームでも下手であった自分を信頼してくれるようになったのだ。あの必死さがあったからこそ、試合に出ることができたのだ。
今年は、ここでは、僕は周囲を引っ張る存在になっていかなければならないだろう。
必死なプレーで周囲を鼓舞しけなければならないだろう。僕が追いかけた背中は、チームのために必死にファイトする、チームで一番のチャンスメイカーであった。彼は誰よりも大きな声を出し、誰よりも力強いドリブルで前に進み、誰よりも受け手がシュートしやすいパスを送り、誰よりも冷静にゴールにボールを流し込んだ。
今月の誕生日を迎えると、彼の当時の年齢にまた一歩近づく。これまで追いかけていた、憧れていた彼のプレーを僕は来季のチームで挑戦したい。いや、そうしなければならない。
僕の存在価値は何だ?攻撃か?守備か?全てだ。全てにおいてチームを動かし、全てにおいてチームを勇気づけるプレーを見せなければならない。
声を出すこと。誰よりも勇敢な姿を見せること。
信頼を得ることは、口先だけではなくプレーで示さなければならない。
新しい自分になろうではないか。そのためには、チームのミスを全て自分のミスと捉えるのだ。
まだまだプレイヤーとして成長できるはずだ。満足してしまっては、他者に責任を押し付けてしまっては、せっかくの成長の機会を棒に振ってしまうことになる。
僕の成長がチームの成長につながるだろう。チームの成長がまた次の段階へ自分を導いてくれるだろう。