大学生とフットサルをした。
恐ろしいほどに、ピッチの中は静かだ。
黙ってプレーをして、いったい何が楽しい?
自分は試合中に声を出すようにしている。
大阪時代に声を出すことができていなかった時期、メンバーから
「下手でも声出すことくらい誰でもできるやろ」
その通りだと思った。
声を出すということは、サッカーにおいて自分はこれまで当然のことであった。
ボールが欲しい場所があるから、ボールが欲しいタイミングがあるから、味方が奪われないよう客観的に見てアドバイスできる場面があるから…。
声を出す理由は様々だが、声を出さない理由はない。
声を出さないということはつまり、自己主張をしないということである。
「文句があってもなくても何か言え」
というのは去年監督から言われた言葉だが、チームの一員であるなら自分の意見を表明しなければならない。それをせずに文句を言うことは絶対にあってはならないし、それをしないことは逆にチームに迷惑をかけてしまうのだ。
なぜなら、意見を出さない(声を出さない)ことで仲間はその人の考えがわからず、上手く合わせることができない。
仮にもしそれでも文句を言わないとしても、それで良いというのは傲慢でしかない。それは自己中心的と言っても過言ではない。
チームである以上、そのような考えは排除するべきだ。どんな想いであれ、まずはそれを明確に表明する。
たとえ苦手だとしても。
それで言い争いになっても良いではないか。むしろそれこと、新たなまとまりを生むための第一歩なのだ。
サッカーにおいても、声を出さないということはつまり、真にサッカーをしないということと変わりない。
サッカーはチームスポーツだ。お互いの意思疎通なくして、良いチームになることはできない。ましてや、勝利することなど不可能だ。
サッカーの楽しさは、仲間たちと良いプレーができた時、つまり良い連携ができたときに他ならない。
その楽しさを味わうためには、やはり声が、つまりコミュニケーションが必要なのは言うまでもない。
「一人でドリブルでぶち抜いて点を決めることだけが楽しみ」という人は、「私は自慰行為が大好きです」と言っているのとそう変わりはない。1対11という考え方は、試合の中での特定の場面では通用するかもしれないが、試合全体を通しては通用しない。やはり11対11がサッカーの原則だからである。
下手でも声を出していいじゃないか。声を出さないよりは出す方が、よっぽど多くの気づきが得られる。
なぜこのポジショニングで要求しても出さないのかあとで聞いてみようとか、今のタイミングで要求してもボールは出てこないんだなとか、あの選手は焦ると声が届かないので別の機会に話しておこうとか…。
受動的な人間が得られる糧などほんの少ししかない。能動的であれ。反応は自分から行動を起こした時にのみ得られる。
若者よ、恐れずに声を出せ。
君たちの声がチームとしての、そして個人としての成長の第一歩なのだ。