友人と、「習慣を記録しておくのにはどんなのが良いかね」ということを話していた時に、

何らかの行動を習慣化するためには、まずその目的を明確にすることが大切なのかもね」と答えが出ました。

今回の記事では、良い習慣を身につけるために、その習慣を身につける目的をどう見つけていけば良いかを考えてみます!

習慣化したい行動の目的を探す


例えば、「読書を習慣にしたい!」と思って取り組んでも、結局三日坊主になってしまい継続できないことがよくある。

かくいう僕も、学生時代はこの特性に苦しんだ人間の1人だ。

今となってはすっかり習慣になってしまった読書も、大学生時代は継続することができなかった。

理由はシンプルで、読書をしようと思っていたきっかけが「読書は良い」とみんなが言うからという、外的要因であったからだ。

人に言われてすることほど抵抗のあるもの、また、長続きしまいものはない。

逆に今読書ができているのは、読書をすることで生徒に知識を教えたいという思いはもちろんのこと、仕事やプライベートで関わる大人に「お?」となる意見やアイデアを示せるようになりたいと望んでいるからだ。

そういう思いを持っていると、自然と空き時間の本を開くようになる。

この失敗と成功を通して気づいたのが、「なぜその行動を習慣にしたいのか」という自分の中の核となる部分を明確にしなければ、徐々にその行動に価値を見出せなくなって止めてしまうということだ。

目的は夢か生き方の実現である場合が多い


今回示した例では、ある行動を習慣化することでどうなりたいかという小さな目的だが、もっと根本にあるものこそが、夢や生き方なのではないかというのが僕の今の考えだ。

どういうことかというと、「生徒や大人にこういうことができるようになりたい」という考えのもっと深くにあるのは、「自分は人生を通してこういう生き方をする、夢を達成する」という大きな目的のために、「生徒や大人に対してこうしたい」という小さな目的を作るということだ。

で、この大きな目的に当たるものが、個人の夢や生き方(価値観)である。

小さな目的は、目標と言い換えてもいいかもしれない。

僕は過去に夢を明確にしていた。

このブログも当初の目的は、プレイヤー以外のサッカー関係の職業で食っていけるようになるために始めた。

社会人になってからは「サッカーチームの監督か経営者になりたい」という夢を持っていた。

とはいえ今思い返してみると、小さい頃からやりたい事や興味がコロコロと変わる人間だった。

(このブログではサッカーの話が多いがそれ以外にも興味のあることはたくさんあったし、ある)

そのため大きな目的を「夢」にしていた頃は、どうしてもすぐ夢が一転二転するせいで、夢の達成に向けて習慣化しようとする行動が、別の夢を達成するためには不必要なものとなり、行動が迷子になることがよくあった。

ということもあって、自分は大きな目的を「夢」ではなく「生き方」に変えたことで、今はそれを改善することができている。

夢と生き方の違いとは


僕は基本的に「夢」を持っていた頃の失敗から、そういうものは人には語らず不言実行を続けていく方が性に合っているという結論に至ったので、ここでも僕が大きな目的として設定している「僕の理想の善い生き方」をここで語ることは決してない。

「夢」を大きな目的とするタイプは、それが確固たる不動のものであればあるほど小さな目的を設定し、行動を習慣化しやすい。

「絶対にこうなってやる!そのためにはこれしてあれして…」というように。

これは例に挙げるなら、孫正義氏であろう。あとは前澤氏とか。

だから二人はビジョンが合ったのだろうと推測できる。

逆に「生き方(価値観)」を大きな目的とする人は、それが人との繋がりや自分と向き合うことであればあるほど、小さな目的や行動を習慣化しやすい。

「こういう生き方をするんだ!そのためにはこうしてああして…」というように。

これは例に挙げるならホリエモンがわかりやすいかな。

「楽しく今を生きる!」を貫いているから。

それと意外かもしれないが、イチローもこれに当てはまると思う。

彼は世界一のベースボールプレイヤーになることではなく、「世界一野球を愛する」ことを大きな目的としていたと思われるから。

夢よりも生き方を目的にする方が良い理由


僕は大きな夢をぶち上げて突き進むよりも、自分で設定した「善い人生の過ごし方」に少しでも近づく努力をする方が好きだ。

そのために、読書が必要であったり、筋トレや瞑想、日々の散歩、こうやって毎日反省することを習慣にすることで近づけると考えている。

その過ごし方の中には、「金持ちになりたい!イイ女を抱きたい!」などというものはない。

むしろ人と向き合い、自分と向き合うことが善い人生を創ると僕は考えているので、そのような欲望が入り込む隙間はない。

だから僕は金や女で動く(決断する)のではなく、僕の理想の生き方に適するかどうかが判断基準となる。

それはある行動を習慣化するかどうか決める時もそうだ。

ある人によってはそれは不幸なコト、可哀想なコトとして映るだろうが、結局のところそれは人それぞれなのだ。

僕の大きな目的は、僕の信じる善い生き方に少しでも今の自分と生活を近づけていくこと。

友人はどんな大きな目的を設定するのだろう。「夢」かそれとも「生き方」か。

そしてそれに近づくために、どんな行動を習慣化させるのだろう。

カテゴリー: PHILOROPHY真理

まつを

まつをのプロフィールはメニューバーの【ABOUT】を押してね!