今年もまた、Amazonプライム会員限定で『きっと、うまくいく』が配信される時期が来ました。
よ!待ってました!
この映画はですね、大学時代にアニキが「これはまじで見ておけ」と勧めてくれたんですね。
「インド映画?ホンマにおもろいんか?(笑)」とちょっと小ばかにしていたのですが、見始めてから終わるまであっという間でした。
3時間の長丁場の作品なのですが、そんなのが気にならないほどの展開に次ぐ展開で、退屈することが一切ありません!
何度も見返してきましたが、見返す度にいつも僕を人生の原点に戻してくれる最高の映画です。
というわけで今回は、僕が独断と偏見で選ぶおすすめの名言を選んで、紹介していきます!
- 『きっと、うまくいく』名言8選
- 「学校に行くには制服があればいいんだ。これで制服を買って教室に潜り込め」「バレたら?」「別の学校の制服を買え」
- 人にわからないと定義もムダでは?
- 皆、競争に夢中だ。これで勝っても何の得が?知識が増える?ノーだ。圧迫が増すだけ
- 僕らは勉強をしているが目的は成績じゃない…。成績ではなく優秀さを追求しろ。成功は自ずと付いてくる
- 試験は何度でもある。父親は1人だ
- わかるか?僕がなぜ一番か。機械が好きだからだ。工学が僕の情熱なんだ。お前の情熱は?
- 「君がその正直さを仕事では抑えれると約束できるのなら考慮してみてもいい」「痛い思いをして学んだんです。やっと悟ったのでそれはできません」
- 心はとても臆病だ。マヒさせる必要がある。困難が発生した時にはこう唱えるんだ。All is well(うまくいく)
- この映画から学べる事は?
- 好きなものに没頭したっていいんじゃない?
- 評価:★★★★★
『きっと、うまくいく』名言8選
「学校に行くには制服があればいいんだ。これで制服を買って教室に潜り込め」「バレたら?」「別の学校の制服を買え」
ミリ坊という雑用係の少年に、知識はどこでも学べるという具体的な方法を、ランチョーは伝授します。
「え、これ名言か?」と思う方もいるでしょうが、こういう学ぶことに対する貪欲さだったり、そのために工夫する姿勢だったりって、何か自分にも生かせるものがあるのではないでしょうか?
物語りの最後に、この伏線もしっかりと回収されます!
人にわからないと定義もムダでは?
機械の定義を説明せよと教授に言われ、ランチョーがわかりやすい言葉で説明すると、教授から「(教科書に明記されている)定義を言え」と怒られます。
その時に、ランチョーが教授に対して発っした言葉です。
確かに、僕たちが会話をする相手のほとんどは”人”ですよね。
その”人”に自分の言いたいことがはっきりと伝わることで、会話というものは成立します。
極端な話、その時に自分の知っている難しい言葉を羅列しても、相手に伝わらなければそれは会話が成立しているとは言えません。
理解力の高さは人によって異なるため、「もしかすると伝わらないかも」という前提で易しく説明をする事で、相手も聞き返すことなくスムーズな会話ができます。
難を知りつつ、易に噛み砕いて相手に届けることができることがひとつの賢さのでしょう。
皆、競争に夢中だ。これで勝っても何の得が?知識が増える?ノーだ。圧迫が増すだけ
学歴厨の学長に対して、ランチョーが反論した時の言葉です。
サッカーのようなスポーツは、勝負して勝つことが正義という世界なので競争することは必須です。
ですが何かを学ぶことは、生きることは、それらは決して競争ではありませんよね。
もっと自分の興味や関心に寄り添って、周りを意識せずに自由に学んだり生きたりしていいのかもしれませんね。
僕らは勉強をしているが目的は成績じゃない…。成績ではなく優秀さを追求しろ。成功は自ずと付いてくる
成功を追い求めて学ぶ事は、誰だって苦行以外の何ものでもありませんよね。
そうではなく、「知りたい」という関心に沿って学び、それが楽しくて楽しくて仕方がないという人にはどうあがいても勝てません。
”好きこそものの上手なれ”ということわざもあるように、全員が成功を追う必要はありません。
それぞれが好きに生きて良いんですね。
ただし、「好きなことはとことん学び尽くす」姿勢があると尚良いのでしょう。
試験は何度でもある。父親は1人だ
ラージューの父親の病気が悪化して病院に担ぎ込まれた際に、ランチョーが親友のラージューにこう伝えます。
シンプルですが、その通りですよね。
皆さんは大事な家族を、いつも”大事に”できていますか?
わかるか?僕がなぜ一番か。機械が好きだからだ。工学が僕の情熱なんだ。お前の情熱は?
「写真家の道に進みたいけれど、両親の期待に応えなければ…」と心が揺れている親友のファルハーンに対して、ランチョーが言いました。
他の生徒たちは優秀なエンジニアになって、優良企業に勤めることが目的で大学に来ています。
一方ランチョーは、ただただ工学の勉強が好きで好きでたまらないので。
どちらがより高い成績を取ってしまうかは、考えずともわかりますよね。
昨今、「ビジネスマンはリベラルアーツを学べ!」「学生にはSTEAM教育だ!」なんて言いますが、教育の本質はそれぞれのニーズに合った多様な選択肢があることです。
それらを学びたい人は学べばいいですし、それ以外のことを学びたい人もそれでいいのです。
世の中、人に「ああしろ、こうしろ、こあるべき」と命令する人がごまんといます。できない不安を煽って、お金にしようとしている人がごまんといます。
僕もこのブログでそうしているように思われるかもしれませんが、僕は人にも同じようにしてほしいわけではありません。
僕は例えばこの練習や、こういう人生訓が良いと思ったので共有しているだけで、必ずしも「そうしろ!」とは考えていません。
皆それぞれの生き方があって良いのですが、自分で不幸の道を選ぶことはしてほしくないだけですね。
「君がその正直さを仕事では抑えれると約束できるのなら考慮してみてもいい」「痛い思いをして学んだんです。やっと悟ったのでそれはできません」
「就職して家族を養わねば」という使命感で大学に進学し、いろいろあった挙句に生死を彷徨ったラージューがようやく「自分に正直であること」の大切さを悟ります。
痛い思いをして学んだことも、僕たちはすぐに忘れたり、人に言われたことに併合していったりすることがあります。
その時に、一番悲しむのは誰でしょう?
その学びを得た自分自身なのではないでしょうか?
自分が体験を通して得た学びは、他の誰も否定することもできないし、自分もそれを平気な顔をして捨て去ってはいけないのです。
そうしてしまう人は、自分の学びを、人生を自身でコントロールできないことと同じです。
心はとても臆病だ。マヒさせる必要がある。困難が発生した時にはこう唱えるんだ。All is well(うまくいく)
どんな時も、心に少しの余裕を持って言い聞かせていきたいですね。
この映画から学べる事は?
これまでは新しいことにチャレンジする勇気であったり、チャレンジに対する恐れを取り払うことであったりを教わりました。
この作品は毎回違う気づきを与えてくれるのですが、今回は「学ぶとは」について考えさせられましたね。
この視点になった理由は間違いなく、今の仕事とリンクしているからですね。
最近は町の議会からの風当たりも強くめげそうですが(笑)、本来この町に来てこの仕事を選んだ理由は、「学ぶ楽しさを再発見したい」という想いを実現するためでした。
主要科目を苦しそうに勉強する子どもたちが多く、それでいて自分の好きなこととを、例えばモノづくりやPCソフトをいじっている時なんかは、それはそれは輝いています。
学ぶことは、苦しいことなのでしょうか?
苦しんだ先に待っている大学などの進路は、果たして本当に苦しんだ価値があるものなのだろうか?
良い大学に行き、良い職に就いて一般的に言う普通(成功)を得るためにに苦しむことは、果たして価値のある生き方なのだろうか?
- 良い点数を取るとは何だ?
- 良い大学に行くとは何だ?
- 良い企業に勤めるとは何だ?
- 成功とは何だ?
この映画の主人公のランチョーは、学ぶことが好きで好きでたまらないという人物でした。
その好奇心を支えているのは、自分が学んだ工学の知識を生かして人に楽させたい、喜ばせたい、幸せにしたいといった、人に寄り添う想いがあるからなのではないかと思います。
そんな想いで行動している人を見ていると、僕たちはなぜか応援せずにはいられません。
好きなものに没頭したっていいんじゃない?
好きなことに没頭しようとすると、必ず周りの人たちが
「それって意味あるの?」
と言ってくることがあります。
そんな時に、皆さんはどう答えますか?
好きなものは好き。だって好きだから
『1%の努力』ひろゆき
ひろゆきさんは好きなものに理由などいらないし、他人のことを気にする必要もないし、もっと自分本位に、自分の好きなことに忠実に生きることも悪いことではないと言います。
今回の”学びの意義”というテーマから少し逸れはしますが、落ちこぼれから中国の巨大ITグループの社長にまで登りつめたジャック・マーさんも、
Don’t worry about money. Money follows people.
People should follow their dreams.
ジャック・マー
と、スピーチで話しています。
ジャックさんにとっての学び続けることの意義は、人を喜ばせたいからでした。
学生の頃は、「英語を学びたいから」と言って無料で観光客の案内ボランティアをしていたそうです。インターネットを持ち込んだのも、お金儲けがしたかったのではなく、人びとに便利さを届けたかったからです。
そして優秀という周囲から得られる称号というのは、学ぶことを楽しんで、その知識を惜しみなく人のために使った者に与えられるようです。
僕は子どもたちに、学ぶことが楽しいというのをどう教えればよいのかと考えてきました。
なーに、教える必要なんてそもそも無かったのです。
すでに皆、自分の好きなことを追求する(学ぶ)ことの楽しさは、知っているのです。
ただそれを、周りの人たちに圧迫されることで、忘れてしまっているだけなのです。
教育者として僕がすべきことは、子どもたちが好きで、没頭できて学び続けることのできることを思い出させて、「ええやん!もっとやっちゃおうや!」と背中を押すことなのかもしれません。
あわよくば、僕も少しはそのことに関する知識を入れておいて、会話相手となってあげることができれば尚良でしょうね。
だからこそ僕は博識でなければならないのですが、有難いことに学ぶことは大好きです。
答えはいつだって、皆が、自分がよくわかっているものですよね。
僕のサポートは、ただそれを一緒に深めていくという、いたってシンプルなものなのですね。
焦らず、自分のペースで知識を増やしながら、僕の頭で考えながら、みなさんと一緒にこの世界を楽しみたいと思います。
評価:★★★★★
学ぶことを純粋に楽しめていないな…成果や数字ばかりを追ってしまっているな…と感じる時に、見直すと元気とやる気を取り戻してくれる素敵な作品です!