お疲れさまです。
相変わらず残業と土日出勤が続いており、いよいよ壊れそうになっているまつをです。
年度の初めというのにね。
最近はイライラが収まらず、常に誰かのせいにしないと、この状況を受け入れることができないほど追い込まれています。
この話はまた後日、書き残しておこうと思いますが、この前の土曜は雨だったこともあり、妻の離乳食作りの間、子どもとPERFECTDAYSを鑑賞しました。
『PERFECT DAYS』とは
この映画は独身のおじさんが自分のルーティン生活を守りつつも、その中で起きる日常の些細な変化に対し心が揺れ動く様を、役所広司がパーフェクトな演技で表現しています。
独りでいることの穏やかさと、同時に潜む不安定さをこの映画は炙り出しているわけですが、この映画はそれを問題としているわけではなく、その不安定さも含めてPERFECTDAY”S”、つまりはずーっと続く日”々”と訴えているのかな、と個人的には感じています。
もっと言い換えると、PERFECT(を目指す)DAYSですかね。
おじさんの日々と5年前の自分
役所広司が演じるおじさんのルーティンは、個人的にこのブログを始めて2〜3年目あたりの、北海道のド田舎で高校魅力化プロジェクトに参画していた頃を思い出しました。
人口2,000人の村で娯楽はないので、平日は家と職場を行き来し、土日にサッカーやフットサルの練習や試合がなければ村の銭湯と家を行き来する日々でして。
あの頃はその生活に落ち着きや穏やかさを感じていた一方で、同時は20代半ばで「自分はこのままの生き方で良いのか?」という一抹の不安が募り、結果的に前職の大手通信制高校に転職し、昇進と昇給を目指しつつ、自分の時間と余裕を徐々に失っていく生活に衣替えしてしまいました。
この映画は穏やかさと不安定さの両方を描き出していることで、あの頃の良い面だけでなく、悪い面の両方を思い出させてくれました。
今の自分
今、僕は
なぜこんなに忙しく働いているのだろう?
なぜこんな目に遭っているのだろう?
こんなに忙しく働いて意味はあるのか?
と、疑問を持ちながら生きています。
一つ答えにあるのは「妻と子どもの生活のため」なのは確かなのですが、それ以外が見当たりません。
なのでこの映画でおじさんが唯一声を荒げたシーン、相方がトイレ掃除の仕事を辞めた皺寄せでおじさんに相方の分の掃除拠点を押し付けられ、「こんなの毎日は無理だからね!」と本部に電話で返答し、車のドアを乱暴に閉めたシーンですね。
これがまさに今の僕の状況で、これまで自分でコントロールできる幅を大きく確保しながら仕事をこなし、日常生活も過ごしていたからこそ、今のコントロールが効かない状況に苦しんでいます。
現に、周囲に当たるようにもなってきたと感じています。部署の人たちに、パートナー企業にも、容赦なくNOを突きつけています。
というのも、そうしないと自分の仕事をコントロールできないのでね。
毎日、顧客の締切に追われ、顧客からの質問や追加の要望に応え、しかも数は30を超えるという、絶望的な状況を、自分の睡眠時間と家族時間を削ってギリギリ乗り切っています。
そこに部署の人やパートナー企業が追加の依頼を持って来られると、もうやってられんのが今でして、それを結構強めにパートナー企業の担当者たちに伝えたところ、僕は昨日マネジャーに伝え方の稚拙さを指摘されました。
でもって、本部長からも。
この状況を作っているのは誰なのか、まさにこの2人だと思うんだけどね。
自分のPERFECT DAYSを失ってみて
まあ何が言いたいのかよく分からない、とはいえ鬱憤としたものが溜まっているのが今でして。
つまるところ映画を見て、このおじさんのようなPERFECTな生活に戻りたいと思いつつも、そうはなれない今を生きているのだなと痛感した次第です。
妻がいて、子どもがいて、日々の中に幸せがあって。
でもその幸せが仕事によって一瞬で吹き飛び、妻との不和にも繋がり、僕にとっての「PERFECT DAYS」を見失っています。
ただ悲しい。
あの日々に戻れるのか。戻れた時に、本当に戻れているのか。
それはわからない。