今日のタイトルは過激ですが、決して僕の言葉ではありませんよ。(笑)
今回の記事は、僕がコーチとして所属している高校サッカー部の総監督と話した時に、なるほどと思ったことを書き記しておこうと思います。
どんなに忙しくても朝練に顔を出す総監督
僕が今コーチをしているとあるサッカー部は、僕を含め指導者が5人います。
僕は素人に毛の生えたようなものなので、毎日が勉強で、先輩コーチ陣にご指導いただきながら奮闘しています。
ちなみに、僕以外4人はもちろん現役の教師です。総監督には雇われる時、「そこは大学で教員免許取っておけよ」と言われました…。
いや、ほんとですね。失敗しました…今更遅いけど。
まあ過ぎたことを悔やんでも仕方がないですし、まだこれから取り直しても手遅れではないとプラスに考えています。
総監督は、今年から高校の教頭先生になりました。
とても忙しいようで、教頭という立場なのに、実際に「クソ忙しい」と言ってしまうようなワイルドなおじさんです。
言うならば、古き良き時代の怖いけど人情に篤い漢って感じです。
忙しいと口にしていますが、とはいえできる限り朝練には顔を出します。
先日、朝練の時にあれやこれやと久々に1対1で話す機会がありました。
そこで、これからどうするかやどんな指導をすればよいかのヒントを教えてもらいました。
良い指導者はおせっかい
総監督が言うには、教育者や指導者には2種類いるそうです。
自分のために指導をしている者と、選手のために指導をする者の2つですね。
まず、前者のような人は、自分の凝り固まった考えを選手に押し付けます。
これを総監督の言葉で言い換えると、性悪説な教育者だそうです。
こういう教育者は優しい人が多い傾向が強いそうで、生徒のために優しくするのではなく、自分の立場を守るために生徒に優しくしているのだそうです。
要するに、建前が生徒のために優しくで、本音は自分の保身のために優しさを利用しているんですね。
本物の指導者は好かれようとしない
そして総監督は、僕にこんなことを言いました。
俺は生徒に「お前らから好かれようなんざ一切思っていない。」と言っている。
そしたら生徒は「え、まじか」みたいな顔をするんだよな。
今の時代、選手に厳しく言うと親からああだこうだ言われて面倒なことになるから、それを避けて言わない指導者が多いし、選手もそれに気づいていて上から俺たちを見ようとしている。
そんな中で、俺みたいなことを言うやつがいると、生徒はびっくりするわけ。こんな指導者いるのかよ、ってね。
おれは生徒に嫌われてもなんとも思わない。
ただ、俺の言うことはすべて、必ず選手の将来に役に立つような、社会に出て必ず生きることを言っている。
だから今は気づかなくても、卒業後に気づいて言ってくるやつもたまにいるし、そういう、『あれ、そういえばこれってあの時あいつが言っていたな。』と思い出されるような、成長の手助けになるモノを残すのが一番重要なんだわ。
ペコペコ生徒にゴマすりしている教師なんてクズで、嫌われてでも本当に大切なことを口酸っぱく教えてやれるやつが本物だ。
総監督
僕はこの1カ月、好かれる指導者になろうとしていたような気がします。
選手や生徒たちから慕われている指導者やリーダーこそが、最も素晴らしい人であるという、凝り固まった考えを持っていたのかもしれません。
指導者として選手に嫌われる勇気を持つ
総監督は嫌われる勇気を持っている、気高い指導者なのかもしれません。
多くの職業は人に好かれる方がいいこともあります。
それはもちろん教育者もそうであるのかもしれませんが、それでも総監督のように、真逆の方法で普通のサッカー部を道内ナンバー1の強豪校に押し上げた指導哲学を、朝のひょんな会話から教わることができました。
こんな貴重な学びも、春に就職をせずにここに飛び込んできたおかげだと思います。
一昨日の29日に、4月初めての休日を頂いたのでお墓参りしてきました。
この環境を与えてくれたご先祖、じいちゃんばあちゃんにありがとうの感謝を伝えてきました。
GWまだまだ続くので、この記事を読んでくださっている方もぜひ、お墓参りに行きましょう!