昨日の夜から今日の夜までの24時間が激動過ぎて、頭がパンクしそうです。

たくさんの人と会い、たくさんの話を聞き、たくさん考えた24時間でした。

時間的な順番にバラつきが出ることをご了承して頂いた上、最も感情を揺さぶられたことをまずは書いていきます。

衝撃の知らせ


今日は朝から自治体対抗のサッカー大会に参加していて、昼過ぎまで試合をこなしていました。

最終戦が始まる前に、友人から連絡が入り、出ると僕らが所属する社会人チームの後輩が亡くなったと言われました。

「え?」

詳細は不明でしたが、とにかく亡くなったという事実は本当なようで。つい2,3週間前には一緒にリーグ戦に出場し、彼の元気な姿を確認していたため、「事故か何かか?」と動揺しました。

ちょうど大会の現場にそのことを知っている人がおり、死因は自殺だったとの情報を得ました。

その情報でまた更に動揺し、「何があったんだ…」と考えずにはいられませんでした。


夕方にはお通夜があるとのことで、試合終わりに急いで家に向かいました。

帰り道の車の中で、これまでのことが色々と思い出されたんですね。

僕は彼と一緒にプレーし始めたのはちょうど1年前くらいからで、一緒に居る時間もさほど長くはなかったですし、一緒に飲みにも何回かしか行ったことはありません。

とはいえイケメンでとても人懐っこく、今のチームの中で同い年の友人二人を除けば、次に打ち解けるのが早かったのが彼だった気がします。というのも、友人たちから可愛がられていたこともあるし、僕も彼とベッタリはしていませんでしたが、気さくで良いヤツという印象を持っていて好きでした。

丁寧で真面目で、試合の時は僕もたまにアドバイスを求められましたし、彼は「まつをさんと少ない人数で飲みに行ったことが無いので、リーグ終わったら行きましょう!」と誘ってくれていました。

僕が今所属する社会人サッカークラブは、その中の何人かが、同じ社会人フットサルクラブにも所属しています。

僕も去年、そのフットサルクラブの助っ人として参加し、

 

足を破壊されました。苦い思い出です。

彼もそのクラブに所属しているため、去年一緒に大会を戦ったんですね。

今年はよく「まつをさんも今季一緒にフットサルしましょうよ」と誘ってくれていました。「フットサルはめんどくせーんだよなあ(笑)」といつも流していましたが、それでも「いやいや、やりましょうよ!」と言ってくる姿を鮮明に覚えています。

その言葉を思い出すとですね、なぜかポロっと涙が出てきたんですね。

僕は自分ではドライな人間だと思っていますし、現に前に泣いたのがいつだか覚えていません。当たり前に映画や本でも泣いたことが無い人間なので、まさか涙が出るとは思いもしませんでした。

そのことにも動揺しました。

彼には申し訳ないのですが、「あれっ?そんなに?」とビックリでした。確かに歳は取りましたが、それでもまだ冷たい人間だと思っていましたし、いや、最近は自分でそう決めつけていただけなのでしょうか。

いつかの虚無感


実は、身近な知人が自殺で亡くなってしまったことが中学の時のもありました。

その知人は小学生の時のチームメイトで、小学生の時はよく2人で遊ぶことがあったんですね。家に遊びに行ったり、一緒にスキーをしに行ったり。ですが中学校は別々だったこともあったし、当時はケータイなんて持っていないので連絡を取ることはありませんでした。

一度たまたま会った時に、「サッカーは辞めちゃったんだ」と言われて裏切られたと勝手に思っていましたね。

そして時は流れ、すっかりその知人のことも忘れてしまっていた中学校の卒業式の日の朝、オカンから「○○君が亡くなったって。自殺だったみたい…」と言われました。

いやもうね、卒業式どころではなかったですよ。周りのみんなは卒業することに対して泣いている人が多かったのですが、僕は逆に泣くことすらできませんでした。

「なんで○○くんが…?」

についてずーっと、式の間中考えていて式自体に集中できず、式で何をしたか今も覚えていません。「なぜ?」と考えている内に、気づけば終わっていました。

式の後は、教室に残って卒アルにメッセージを書き合っているクラスメイトをよそに急いで家に帰り、お通夜に行きました。

お通夜では○○くんのお母さんから、「忙しいのに来てくれてありがとうね。顔見ていってあげて」と言われ、恐る恐る見た彼の顔は仲良かった時の顔と変わらず。

実は2年生の時から、不登校になっていたことを聞かされました。

家に帰ってから泣きましたね。

後悔というか、寂しさというか。

裏切られたと勝手に思って、それ以降まったく気にかけなくなったことも、いろいろと考えて。

春休みの間は、ずーっと虚無感を抱えて過ごしていました。結局、高校が始まり毎日の生活についていくのに必死で、気づくと忘れていました。

状況は違いますが、大会からの帰宅途中、あの時と同じ虚無感に襲われていました。

考えても答えが”絶対に”出ない問題


お通夜が終わり、友人とポツポツ話ながら帰りました。

「なぜあいつは自殺を選んでしまったのか」をお互いに考えていたようで、それについて「こうだったのかな、ああだったのかな」と言い合っても、結局のところそれはわからないんです。

僕らの想像の範囲でしかないんです。

死を選んだのは彼自身で、その動機も彼の中にあって、その動機が形成されるに至った積み重ねも彼しか知らないんです。

僕らは何も知りようがないんです。

「答えが出ないってのはわかってんだよな」と友人は言いました。

安宅さんイシューからはじめよ ― 知的生産の「シンプルな本質」で、答えが絶対に出ない問題には、取り掛かろうとしてはならないと言っています。

時間の無駄ということも一理ありますが、自分を苦しめるということの方が大きいんです。

やっぱり一緒にサッカーをしてきて、楽しい時間を共有したからこそ、感情移入して考えてしまうんです。

虚無感の正体は恐らく、「分かりようのない、分かりえない問題に対し、悶々と考えていることで生まれる喪失感」なのかもしれません。

あの時期、死にたいと思って毎日生きていた


今となっては笑い話ですが、真剣に死んでもいいと考えている時期が僕にもありました。

コーチ時代、月5万のお給料でお金が無く、日中の合間を縫っておばちゃんたちに紛れてバイトをし、なんとか10万いかない額を毎月稼いでいました。

土日も練習漬けで休みがなく、ちゃんとした休みを貰えたのはお盆の3日間と体調を崩した2日間の計5日間でした。あと数日あった気もしますが、休みの日は疲れすぎて、結局疲れが取り切れないという何の面白みもない休みでした。

高校や大学時代の知人たちは、良い企業に入ったり、大学院に進んで研究したりと”まともに””正しく”生きているように見えました。

方や僕は、アルバイトしながら安月給で、選手や監督たちに無能と思われながら、休みなく働いていました。

好奇な目で見られますし、年配の方や同級生から「ちゃんと働きなよ」と言われることもたくさんありました。その度に傷つき、この道を選択をした自分を責め、社会が掲げる最低限とされる目標や立場と、現状の自分との間の差が大きく感じられ、それに耐えれなくなっていました。

プライドなんてものはズタボロで、自分自身に対して、一番自分を理解できる自分が価値を見出せなくなっていました。

心も体も満身創痍でしたね。

「死んだ方が楽だな」

と気づけば思うようになり、車を運転している時なんかは常に、「このまま対向車線に入れば車と衝突して死ねるんじゃないか」と考えていましたね。

今となっては恐ろしいことですが、当時は大まじめに考えていました。

冬道でスリップして一回転した時は、「このまま電柱に激突して死にたかったな。なんで死なせてくれないんだよ」と考えましたし。

自殺の是非についての答え


自殺は悪だとか、その人の状況によっては善とも捉えられるなどといった議論が、これまで数多くなされてきました。

それについて、哲学的観点であったり、あるいは倫理的観点であったりと、多様な視点から自殺を考えてみても、「悪だ」「善だ」と言い切れる答えはこれまで出てきませんでした。

つまり、自殺することの是非に対する答えは「ない」のが正解だと思います。

確かにこれを言うと元も子もないのですが、だからこそ最も重要なことは、それぞれが自分で自殺の是非の答えを決めることなのです。

シンプルな1つの答えが無いということは、つまり自分で答えを決めていいんです。

そのためには一元的に考えるのではなく、実際に自殺未遂をした人から話を聞いたり、自分の自殺が周りに及ぼす影響などを考えたりし、その上で自分は自殺は是非のどちらかを決めればいいのです。

彼はそれが是だったにすぎないのです。

僕も自分で手を下すことはありませんでしたが、コーチ時代は限りなく是に近かったと思います。

今こうして生きることができているのは、神様の気まぐれと言いますか、本当にたまたまなのだと思うんです。

自殺は絶対にしないと決意する


自分で決めることができるこの問題を、僕はこう答えます。

もちろん、彼の選択を尊重する、という言い方はおかしいかもわかりませんが、僕は彼が選んだ間違っているとは言えません。

僕だけでなく、誰も彼を間違っているとは言えません。

ただ僕は、全力で生を全うしたいと思います。

コーチを終えた最後に、「まつをコーチとサッカーができて良かった」という高校生や小学生の言葉が、あの時の僕を救ってくれたと思います。

「大した稼げてないのに何してんだ」「遊んでないで働きなさい」と言われまくった中で、それでも最後までやったのは選手たちの中に何かが残るかもしれないという、小さな可能性に賭けていた気がします。

最後に成果が出なければ、今ここに存在してないかもしれません。

大袈裟だと思う方もいるかもしれませんが、小さな感謝の言葉が僕にとっては「生きてもいいんだ、自分は生きた価値があったんだ」という確かな答え合わせになりました。

人に認めてもらえたり、感謝してもらえたことで、今後もそれが訪れるかもしれないという希望を持つことができています。そしてそのために、日々頑張りたいと思うのです。

自分は、周りの人たちに生かされているのだなと思います。

自分を破壊する一歩手前の負荷が、自分を強くしてくれる

by ニーチェ

僕の好きな言葉ではありますが、成果が出た人にとっての結果論だということを考えると、この言葉はとても残酷です。

僕はたまたま運良く壊れずに済みましたが、そうは行かない場合も多々あります。

成果が出ない人にとっては、強くなっている自分を認識できず、周りから生きる価値を与えられずにいると、人はそのまま自分を破壊させてしまうことの方が楽だと思うはずです。

現にニーチェは、誰からも認めてもらえず発狂して人格破綻し、著書や思想が認められ始めた時には生きてはいるけれど、人ではない状態でした。

だからこそ、人は一人では生きていけないんです。

認めてくれる人がいて、感謝してくれている人がいて、自分が生きている価値を見出すことができます。

それなしで生きていける人はほとんどいません。

よく言われる言葉だけれども、改めて考えると確かにその通りな、深い言葉なんです。

自分の周りの人に存在を、生きてくれていることに感謝を示せる人間になりたいです。

そして自分自身に対しても、生きることを認めてあげれるように。

生きている実感を常に持っていられるように。

カテゴリー: PHILOROPHY真理

まつを

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