最近の投稿内容をふと思い返すと、「準備がすべてだ」という考えを述べる機会が少なくなった気がします。

このブログは僕の思考の一端を記録として残している反面、僕自身にすべきことを言い聞かせるためのツールとしての役割も果たしています。

 

準備のことについて言わなくなったわけは、「準備すること」の習慣が身に付き、自分の反省点として目に留まらなくなったからなのかも?

最近の自分の行動を振り返ってみても、期待する結果を想定し、それに対する準備をすることは当然の習慣になってきていると思いたい。(笑)

 

生徒に良いアドバイスをするために読書や過去の自省をしたり、良い特別講義をするために1日の空いた時間で調べ物をすることをしたり、あるいは生徒に分かりやすく説明するために様々なコンテンツから例えや言い回しを勉強したりといったことを、苦痛にならず、何も考えず(「○○しなきゃ!」といちいち考えず)当たり前のように取り組めている気がするんだよなあ。

 

それができていることで、期待する結果に近い、あるいはそれを上回る成果を残せていると感じているし、やはりそれは準備する習慣が身に付いたからに他ならないはず。

 

当然のようにできることは、気にならなくなるのが人間ですよね。

これまでは、良い準備ができていなかったから多くのことができなかったし、このブログで自分自身にも言い聞かせる必要がありました。

 

例えば、高校時代に成績が悪かったのは当然で、勉強という準備をまったくしなかったから。

昨年度の最初も、選手に良いコーチングを行えなかったのはコーチングの勉強という準備を疎かにしていたし、なおかつ自分にはできないと匙を投げていたから。

過去の失敗例を挙げるときりがないけれども、昔の自分は明らかに準備(忍耐も含まれるだろう)が足りなかったのが明白です。

昨年度の後半になって、ようやく監督の指導の下、準備という概念が自分に定着してからは、その重要性を言い聞かせるようにこのブログに書き残してきました。

 

習慣とは恐ろしいもので(今回得た習慣は嬉しいモノであるが)、自分の生活、あるいは身の一部となってしまうと気にしなくなります。

なぜなら、いちいち言い聞かせる必要がないからですね。

これは筋トレについても同じで、習慣となってしまった今、1日おきにどんなに疲れていても当たり前のようにヨガマットを敷いている自分がいます。

過去の自分が今の自分を見ると、間違いなく驚くであろう…「エェッ!!!」と…。(笑)

 

こうなると、これからの自分に対して大いに期待せずにはいられない。どこまで成長していけるのか。そして大きな自信になりますね。

僕は苦手だったことを、なんと手懐けることに成功してしまったのだと!

 

何が言いたいかというと、日々考え、行動した結果を自省することの大切さです。

僕がこの「準備すること」を習慣にすることができたのも、身に付くまで日々準備の大切さを考え、その日の行動に落とし込むことを続けたからで、これは言い換えれば、忍耐ともいえるのでは?

 

読者の方にも、以前は「言っていたのに、していたのに」最近はすっかり「言わなくなったこと、しなくなったこと」があるのではないでしょうか?

それはもしかすると気にしていなかっただけで、すっかり自分の習慣になっているのかもしれませんね。

 

もちろん良いことだけでなく悪いこともありますが、それを一度振り返ってみることも、この機会にしてみてはよいかもしれません。

新しい自分、あるいは新しい発見があるはず!

良いことはそのまま習慣にすれば良いし、悪いことであればこの機会に思い切って断ち切ってみようじゃないか!

 

 

カテゴリー: PHILOROPHY真理

まつを

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