この土日で、姫路に行ってきました。
前職の卒業式に参列したのですが、生徒はもちろん職員もキャンパスも学園も前に進んでおり、自分自身も前職を卒業できた気分です。
今回の記事は、ここ最近の心境の変化も交えながら心が軽くなった話を少しだけ。
僕は大学を卒業してからこの今まで、サッカーや仕事であらゆる組織を渡り歩くというなかなか忙しい人生を歩んできました。
好奇心や挑戦心で進んできたものの、今振り返ると根底にあったのは周りに認めてほしい、もっとたくさんの人に凄いヤツだと思われたいという自己顕示欲だったと思います。
大好きだったサッカーも、気づけば人より優位に立てる、それを示せるものという認識にすり替わっていったし、仕事も相手に貢献するためというよりも、自分ができることを示すために結果にこだわっていました。
その自己顕示欲というか、承認欲求には終わりがなくて、追いかければ追いかけるほど遠くへいく、求めれば求めるほど先が見えなくなる。
そんなものに、僕はこれまで突き動かされていました。
ただ、現職で月間MVPを獲って以降、そう言った自己顕示欲や承認欲求が急速に萎んでいきました。
要因としては、僕が僕に対して、
「僕はよく頑張ったんだな…僕はもうすでにたくさんの人に認めてもらえていたんだな…」
とフト思えた時に、
「もう十分じゃないか?」
と”自分自身を”認めることができたからかと思っています。
逆に言うと、これまでの僕はどんなに人から評価されても、認めてもらえても、僕自身が僕を「もっと頑張らないと、もっと結果を出さないと」と今の自分の頑張りを認めず、飽くなき自己顕示欲と承認欲求に向かわせていたのだなと気づきました。
原因は全て、僕の中にあったんだなと気づいた時、すごく心が軽くなりました。
もちろん、そういう自己顕示欲や承認欲求があったからこそ、ここまで大きく成長できたのも事実です。
ただ、もう少し自分に優しくしても、認めてあげても良いかなと思いました。
「もう今でも十分頑張っている」
そこは認めて、更に相手にとって組織にとっての価値を考えていくのが、30歳としての態度と指針なのかなと思います。
卒業式に出て、職員の方たちとも自分が辞めた後の話を聞いて、僕がやり残したことや心残りも、今いる人たちがしっかりと頑張って次に繋げたり、前に進んでいたりしました。
自分に執着して周りを見ずに頑張ってきましたが、顔を上げてみるとやはり周りも同じように頑張っているわけで、変わっているわけで。
それを理解した時に、僕も次を、前をしっかり見て進んで良いんだなという安心感に包まれました。
自分も、みんなも、よくやった。
姫路の旅を通して、僕はようやく自分を認めることができた。
30歳からの僕は自分を認めた上で、同じくらい周りを認めてあげることのできる人になろう。