本日のお題は、準備と動機付けの大切さについてです。
このブログで僕は、大きな夢や目標を語っていますが、その夢をかなえるためには入念な準備と動機付けが必要なんですよね。
準備の大切さに改めて気付かされた番組が僕にはあります。
それがこちら。
確か僕が大学3年のときにやっていたのかな?サッカーに関連するキーワードで毎週面白そうな番組を録画していた中に、たまたまあったのがこの番組です。
僕は映画が好きなのですが、映画のジャンルでも好きなのが人の挫折や苦労の話です。(笑)
そういう苦労を乗り越えた人の話を聞くと、「自分の苦労なんて所詮ちっぽけで、つべこべ言わずやらなきゃ」という気持ちにさせてくれます。
財前選手と中田選手
財前宜之選手は中田英寿と同世代の選手で、ユース世代では突出した技術を持ついわゆる天才選手だったそうです。
僕もYoutubeでプレーを確認しましたが、正直なところ技術は高かったのですが、いかんせん怪我前のプレー映像が少なかったのでなんとも、といった印象でした。
もちろん僕にこんなこと言える資格はありませんが、1人のサッカーファンとしての正直な感想なのでご勘弁を。
稀代の天才として、多くの人から期待されていた選手でしたが、怪我が原因で輝かしい結果を残すことなく引退してしまった選手です。
引用:https://matome.naver.jp/odai/2144128044161011301/2144135001319853703
方や中田英寿選手についてですが、説明は不要ですよね。
当時の世界最高峰のセリエAで活躍し、アジア人として初めてセリエA優勝を成し遂げた選手です。2001年には、世界最優秀選手ランキングで6位にランクインしました。
日本代表でも、19歳でデビューしてから引退までの約10年間に渡り活躍した、日本サッカー界のレジェンドプレイヤーです。
引用:http://www.soccerdigestweb.com/photo/id=27212&page=1&no=01
財前選手はなぜ活躍できなかったのか?
財前選手は日本で行われたワールドユース(現U20ワールドカップ)後に、イタリアの古豪ラツィオから練習生としてのオファーが来て海外に挑戦しました。
ですが、言葉の壁で練習生をクビになり、次のチームでは膝の靱帯断裂という大怪我によりクビになってしまいました。
「自分の才能を試したい」という思いで、絶好のチャンスに飛びついたようですが、番組でも自ら認めていたように、【準備が足りていなかった】のが原因であったようです。
まず、1チーム目では言葉の壁で意思疎通が上手くいかずにクビでした。つまり、言葉の準備をせずに行ってしまったわけですね。
これは、実は今の欧州でプレーする日本人にも当てはまります。例えば、バイエルン・ミュンヘンに移籍した宇佐美選手。事実、彼はチームメイトとのコミュニケーションで苦労し、次のホッフェンハイムでも同様に苦労して、戦力外となった挙句帰国せざるを得ない状況に陥ってしまいました。
ただ、宇佐美選手の場合は、日本に帰国してからもドイツ語を勉強し続けたことで、2度目の挑戦ではコミュニケーションでの苦労もだいぶ減ったようです。今年ドイツ2部のチームに移籍して、輝きを取り戻しつつあるので僕は期待しています。
話は逸れましたが、宇佐美選手の他に言葉の壁にぶち当たって帰ってきた人はたくさんいます。恐らく、すぐに日本に戻ってきたような選手はほとんどがこの壁に当たっての帰国だと僕は推測しています。
つまり、言語ができない選手は絶対に海外に行くべきではない、というのが僕の今の意見です。勉強する気があるのなら良いと思いますが、ある程度の頭がないと難しいでしょう。本田圭佑選手も、オランダ移籍の前から日本でずっと英語の勉強をしていたそうです。
ちなみに、僕は大学4年のときお金を70万円貯めて、海外のプロテストを受けに行こうとしていました。結局、怪我が長引いて思うようなプレーをできる状態に戻らずに諦めました。
ですが、言語の準備を全くしていなかったので、恐らく行けたとしても結果は見えていたかもしれません。ただでさえ、圧倒的なスキルを持っていない外国人選手が活躍するには、チームの戦術を理解してチームメイトと同じ考えを共有しなければ、チームプレーにとけこむことができません。要するに欧州へ乗り込むには、圧倒的なスキルを引っ提げていくか、言語を完璧にマスターしすぐにチームのやり方に順応できるかの、どちらかの能力を持っていなければ無理だと僕は思っています。
怪我との付き合い方
やはりスポーツ選手たるもの、怪我は付き物です。先日紹介した、フィギュアスケートの羽生選手やスノーボードの平野選手も大怪我に見舞われていました。
怪我をしたときに大事なのが、いかに完全に治るまで耐えることができるかになります。そういう意味でも、きちんと医者に経過を診てもらう必要もあるでしょう。そういう意味でも、財前選手の周りには的確なアドバイスを送ってくれる人がいなかったのでしょう。また、早く活躍したいという、若さゆえの焦りが彼を苦難の道へと引きずり込んでしまったように思います。
僕も、大学生で怪我をしたとき、整骨院の先生のアドバイスを無視した結果、再発させましたからね。(笑)
僕はアマチュアプレイヤーですが、プロ選手は笑い事では済まされません。体が資本であるということは、絶対に忘れてはいけません。
財前選手が変われたきっかけは?
3度目の靱帯断裂をし、普通ならそのような選手は復帰してもパフォーマンスはまず戻らないと考えられ、クビにされてしまうのが一般的です。
ここで彼を支えてくれたのが、ベガルタ仙台というチームでした。
「我々は10番を空けていつまでも君を待つ」
これ以上嬉しい言葉はありませんよね。人はやはり誰かが期待してくれたり、応援してくれたりすると、力が湧いてきます。特に、絶望の淵にいればいるほど、その力は絶大です。
財前選手は言いました。
「無理かもしれないけど、絶対直してやろう。その時初めて、人のためにというか、このチームを財前獲得してよかったって思わせるように」と。
これまでの記事で何度も言っていますが、自分のためでなく誰かのために頑張れる選手というは、メンタルが強くかならず成果をもたらすのです。
財前選手も、確かに輝かしい結果はありませんが、仙台をJ1に昇格させた試合の劇的決勝ゴールを決めました。
やはり、きっかけは【人のために】なんですね。
僕たちが学べること
- 準備をした人は、結果がついてくる可能性を大きく引き上げることができること。
- スポーツ選手であれば、怪我は完治するまで焦らず待機すること。
- 人を次のレベルに成長させてくれるのは、【人のため】にプレーをするという動機付けであること。
僕も、誰のために次の夢を追うのかを明確にできると、恐ろしいスピードで成長していくことができるのかも・・・。
あ、まずは準備か。勉強しなきゃだ。