アチアチの夏が来ましたね。
先日、友人に誘われてアメフトの練習に参加したのですが、29度の炎天下で死にそうになりました。
みなさんも外に出る時は熱中症にお気を付けください。
今日も今日とて、疲れた体を休めるべく温泉に行ってまいりました。
本日の記事お題ですが、「なぜ人はサウナに入るのか」について、みなさんこの理由をご存知ですか?
正解は、「辛さを乗り越えた後の時間を楽しむため」です。
これは私まつをによるゴッチゴチの独断と偏見に満ちた回答なのですが、なぜそう思うのかについて今日は書いていこうと思います。
サウナと水風呂を楽しめるようになると、実は人生の豊かさが見えてくるという大きなメリットがあります。
今日は、そんな一見意味のわからないことを、私なりの言葉でまとめてみます。
お暇な方はお付き合いくださいな。
純粋にサウナ”が”好きという人はいない(はず)
私自身、最低でも週2で最寄りの温泉施設に行きサウナに入る人間ですが、サウナ自体は嫌いです。
これは私の偏見も込みで、「サウナが好き」という人の中で純粋にサウナそのものだけ好きという人は存在しません。
(多分ね)
もしいるとしたら、その人はガンジーと同レベルのドM体質な方です。
間違いなく大物になるでしょう。
もし自分の周りにそういう人がいる場合は、仲良くしておくと良いかもしれません。
なぜ嫌いかって、そりゃ辛いからですよ。
熱いからですよ。
あれ、自分死ぬんじゃないかと思うからですよ。
そんな命の危機を感じる状況を、喜んで好む人はいません。
サウナの良き相棒を忘れるな
じゃあなぜ嫌いなサウナに入るのかと言うと、サウナに入ってアチアチに火照った体で水風呂に入ってキンキンに冷やす時に訪れる「アカン…飛ぶ…!」というこの瞬間が好きなのであります。
要は、「サウナ(の後に水風呂で飛ぶ)が好き」ということですね。
サウナが好きという人は、水風呂があるからこそサウナが好きなわけです。
で、この水風呂ってのは、苦しさの後に来る”快楽”のことを指します。
私はサウナ本体は嫌いですが、水風呂とセットになると大好きです。
冷たい水風呂に体を浸すと頭がスッキリする。上がった後も爽やかで気持ちが良い。
サウナは私にとって、この水風呂をより楽しむための踏み台である!
サウナは人生における我慢の時期だ
サウナに入っている時の辛さは、人生の中で度々出くわす幾多の困難と同じ類のものです。
サウナ室に籠っている最中はとにかく辛く、過ぎ行く時間が驚くほど長く感じられる。
タイマーを見ながら、
「なぜこんなに辛い思いをしなければならないのか…」
といつも自分に質問する。
とはいえ、
「この5分を耐えきった後に、お前は水風呂で最高の一時を過ごすことができるぞ」
という答えが常に返ってくる。
滴り落ちる汗。自分の汗の量を見て焦る。
が、まだ少し。あと少し。
で、この我慢をどれだけできるかによって、その後の水風呂もじっくりと楽しむことができます。
水風呂に入る瞬間は人生の道が花開く瞬間だ
水風呂はサウナを経由せずに入ると、長く堪能することができません。
それどころか、地獄です。
サウナも水風呂もお互いに真逆の極端な存在ですが、だからこそお互いを補完し合っているとも考えられます。
サウナを使って体を極限まで温めるからこそ、冷やす時間も長く必要になるがゆえに水風呂にも長くつかることができるわけですな。
この相性といいますか、関係性って何かと似ていませんか?
そう、我々の人生と同じなんですよ。
人間というのは、まったく辛くない状況を経験していないと、喜びというものは生まれないのかもしれない。
辛い壁に立ち向かうからこそ、乗り越えた先の未来に喜びを感じることができる。
逆に、喜びだけの人生も無いはず。喜びがずーっと続くと、それが当然となってしまうのはみなさんもお分かりのはず。
つまりは、サウナと水風呂の関係は、人生における幸せと不幸の関係に似ているわけです。
外気浴は人生における穏やかな日々だ
サウナと水風呂で我慢と喜びを学ぶことができますが、実はもう一つ、外気浴も重要な気づきを与えてくれます。
温泉施設によっては外気浴用のイスが無かったりしますが、その場合は露天風呂の淵にちょこんと座ってぼーっとするのがおすすめです。
キンキンに冷えていく体に対しても、我々はサウナの時と同じように身の危険を感じます。
むしろ感じないとヤバいですよね。
サウナと水風呂でまるで人生のどん底とピークを体験した後、我々は日常に戻ってきます。
そう、それが外気浴。
最もフツーの状況であり、ここが我々の居るべき場所。
ここに戻ってくることで、自分の体温が徐々にいつのも状態に戻ってくるのを感じます。
実はサウナも水風呂もかなりのストレスがかかった状態。
その状態を続けていくと、我々の体はいつかぶっ壊れます。
人生もそうですよね。
となると、このフツーの時期もやはり必要なわけで、逆にその状況にいるときこそ、色々なことを考えることができます。
サウナのような辛い時期にいるときは、辛い時期をどう乗り越えるかに頭が集中し、水風呂のような快楽の時期にいると快楽に対しても頭が集中します。
とはいえその2つを抜け出し、我々はノーマルな状態に戻ってこなければなりません。何にも集中しないことで、集中すべきものを探す余裕が生まれます。
余裕が必要。
サウナと水風呂で人生を学ぼう
なんか書いていて結局まとまっていない気がしますが、要はサウナと水風呂(と外気浴)で人生のサイクルを学ぶことができるんだよーってことです。笑
サウナに入ることで、我々は困難との向き合い方を学ぶことができる。
サウナで5分間耐えきることができるのなら、人生の困難も乗り切ることができるはずで、つまりは忍耐力を身につけることもできる。
素晴らしい。
そして水風呂に入ることで、その困難を乗り越えることの素晴らしさと忍耐力の凄さを体感することができる。
そして至高で、一瞬の幸福を味わうことができる。
最後に外気浴で、我々はノーマルでいることが1番の安定ということを知る。
いいねえ。
サウナが僕らに人生を教えてくれるだろう。
自宅にセルフロウリュ機能が付いたサウナを造ろう
ちなみに、皆さん昨今は自宅にもサウナ施設を造ることができるってご存知ですか?
barrelsaunaさんは自宅に作るサウナ施設を提供する企業の中でも、業界最安値で提供しております。
ちょっと高い家具を購入する値段で、自宅に2畳のスペースがあれば大丈夫みたいで、ウッド調の見た目もおしゃれなので、ずーっと使い続けることができそう。
29万円からサウナ設備が造れるとは…夢が膨らみますな。
僕も将来的に自宅を購入する際に、奥さんに導入しても良いか相談してみようと思います。
お金貯めねば。