気づけば9月に入ってしまいました。

長い夏休みですっかりなまってしまっていたようで、今週は全然授業のリズムが戻らなかった。笑

早く直さないとですね。

教育業界で仕事を続けていると、生徒たちや選手たちからよく

「まつをさんって、なんでこの仕事(サッカーコーチや教職員)を選んだの?」

とよく聞かれます。

サッカーコーチの時は教育の仕事1年目で、単純にサッカーに関わる仕事がしたかったので、「サッカーを仕事にするならコーチしかなかったからだよ」と答えていましたが、その後現職に至るまででこの理由の部分が少し変化したように思います。

ということもあってせっかくなので今回の記事では、教育業界で4年目になる僕の経験を踏まえて、教育の仕事の楽しさやサッカーコーチに向いている人について考えてみたいと思います。

人に何かを教え・育む職業であるサッカーコーチや、広くは教職員といった教育の仕事に興味を持っている人にとって参考となる記事なればと思います。

そしてあくまでも、ワタシ一個人の意見として聞いていただければと思います。

コーチを目指す理由は「サッカーが好き!」だから?


サッカーコーチを目指す人の中であるあるな理由が、

「サッカーが好き」

というものがあります。

教育の現場においても、

  • 生徒が好き
  • 勉強を教えるのが好き

と似たような理由で仕事をしている人が一定数いる印象です。

結論から言うと、サッカーが好きなだけではサッカーコーチの仕事は務まりません。

どんな仕事も当たり前ですが、自分のwant toだけでは成り立たないものです。生徒が好きでも、勉強を教えることに割ける自分の時間はそう多くありません。

事務的な作業もたくさんありますし、その他教育現場の運営に必要な活動も仕事と内容の中に含まれてきます。

「コーチならそのスポーツ競技を教えるだけでいいじゃん!」

と思われるかもしれませんが、コーチはコーチで民間企業なわけです。通ってくれる選手がいてこそクラブ運営が成り立つので、サラリーマンと同じように普段のコーチ業務以外では、営業活動をしなければなりません。

案外、というか仕事というものは泥臭いものです。

こういった教育の仕事の側面を知らずに、ただ「教えたい!」という思いでこの業界に入ってくる人は、この業務に耐えられずに辞めていきます。

教育の”育”は、選手や生徒を育てることはもちろん、自分たちの組織を育んでいくことでもあります。

だからこそ、”教”だけに期待し過ぎると、現実とのギャップに苦しむでしょう。

せっかちな人は向いていない


では、ここからは具体的に個人的に向いていないと思う人の特徴を考えていきます。

まずは、せっかちな人ですね。

「え、シンプルー」と思う方もいらっしゃるでしょうが、せっかちな人は教育の仕事では特に向かないでしょう。

せっかちな人というのは、別の表現をすると待てない人と言えます。

教育の仕事は、とにかく待つことがとにかく大切と言っても過言ではありません。

せっかちだと、

  • 相手の反応を期待して
  • 反応が自分の期待よりも遅ければ介入し
  • 結果として相手の成長機会を奪い取る

ことが多々あります。

教育の理想は、選手や生徒による自己発見が最高の学びになります。ただ、その自己発見の機会はすぐに訪れるとは限らず、むしろ「え、今?」と遅れたタイミングで来ることがよくあります。

変化はすぐには来ないですし、すぐに変化が来るように急かそうとするとより一層タイミングが遅れます。

みなさんも過去に、

せっかちだと、その最高の学び機会を与えることができないんですね。

繊細な人は向いていない


せっかちな人は向いていないと言いましたが、別の視点でいくと繊細な人も向いていません。

いくら教えることが好きであっても、必ずしも選手や生徒たちはみんながみんなあなたの教え方を好むわけではありません。

明らかに興味なさそうに話を聞いているのはまだ良い方で、容赦なく寝ている生徒もいるわけです。

そんな時、「自分の教え方が悪いんだ…」とクヨクヨしてしまうと負のスパイラルに入ります。

もちろん、自分の教え方のどこが悪かったかを他責にしてしまうと成長の芽を摘んでしまうので、自責と捉えることは必要ではありますが、これが行き過ぎるとよくないわけです。

選手や生徒の中には、痛い目に遭わないとわからない生徒がいます。

かくいう僕もその一人でしたが、勉強し続けないで浪人する羽目になって初めて、「あ、やらかした」と気づきました。

そういった選手や生徒たちの反応に、いちいち感情を揺さぶられていたら精神が持たないので、繊細な方はやはりお勧めできません。

自分は他者を変えることができると勘違いしている人は向いていない


最後に、自分は他人を変えることができると勘違いしている人は、教育の仕事には絶対に向いていません。

前項でも述べましたが、残念ながら選手や生徒たちの中には、言っても聞かず、一度自分の身に災いが降りかからなければ気づかない者がいます。

そういった人に対しても、「自分なら頑張れば変えれるはず!」なーんて考え始めたら、迷宮に迷い込みます。

まずこの迷宮からは、出ることができないでしょうね。

もちろんごく稀にアプローチを続けることによって、姿勢や取り組みが変わる選手や生徒もいますが、それはほんのわずかです。

基本的なスタンスとして、「まっ、人間そう簡単に変わらないし」くらいでないと、「変えたい!」ことに執着してしまい、本来他の選手や生徒に手を掛けることができた時間を無駄にします。

結果として、何も成果を得られないなんてことにもなるので、このような驕り高ぶった思い込みをしている人には、教育の仕事は絶対にお勧めできません。

大前提:僕たちは他者を変えることはできない


さて、向いていない人としての特徴をざっと挙げましたが、前項でも述べたように基本的に僕らは他者を変えることができません。

他者を変えようとすることは、他者の課題に踏み込もうとすることに他なりません。

自分の課題に土足で踏み込んでくる人間に対して、僕らは素直に「ハイ、ドウゾ」と受け入れるでしょうか?

受け入れませんよね。

大前提として、「人を変えることはできない」というドライな感覚を持っている人は、教育の仕事にゆるやかに対峙していけると僕は考えています。

他者へのアプローチの仕方を考えるのが好き


では、その前提があった上で、+αでどういった特徴があると良いかを考えてみましょう。

まず一つ目が、他者へのアプローチを考えることが好きという特徴は、教育の仕事に向いているのではないかと思います。

教育の仕事は一見、

教育者:選手・生徒=1:多

という構造に捉えてしまいがちですが、細かく見ていくと実際は

教育者:選手・生徒=1:1(が無数にある)

なんですよね。

なので全体へのアプローチだけではなく、個人へのアプローチも求められます。

全体のアプローチは誰しもが

  • どんな練習にしようか
  • どんな授業にしようか

など考えますが、個人へ

  • どう成長を促す声掛けをしようか
  • どんな課題を与えようか

といったことも考えれるかどうかで、教育者としてより高みへいくことができます。

全体へのアプローチを考える方が簡単で時間的にはすぐにできるからこそ、できて当然なんですよね。

逆に、個人へのアプローチは選手や生徒一人一人性格が異なるため、アプローチを逐一変えなばならず、準備にも時間がかかります。

そういった一見すると面倒なことを楽しめるかどうかは、教育者にとっては必要なのではないでしょうか。

結果として、1対1を極めた教育者は、自ずと1体多のアプローチも上手くなるんですよね。

そりゃたくさんの場合分けパターンを持っていれば、柔軟な対処もできるってもんです。

また、自分が関わる選手や生徒たちへのアプローチは、自分の判断で変えることができます。いつまでも同じアプローチをしているだけではかならずお互いに飽きが来るので、そういったときにいかに次なる一手を打てるかも大事ですね。

他者の成長を見守るのが好き


2つ目は、成長を見守るのが苦ではないという点です。

僕自身、プライベートにおいては他人のことなど死ぬほど興味がありませんが、仕事で人を見るのは本当に楽しいです。

あくまでも、成長は”させる”のではなく、見守るものであることを忘れてはいけません。

先の項でも述べましたが、究極的なところ他人を変えることはできませんし、痛い目を見ないとわからない人もたくさんいます。

そういった人たちを見放すのではなく、見守ることができる教育者は素敵ですよね。

痛い目を見てくじけそうになった時に、見て見ぬふりをすることは簡単ですが、そんなときも見捨てずにフィードバックと励ましを与えることで、もしかするとその人は次こそは変わる可能性だってあります。

そういったことに楽しみを見出せると、教育の仕事はゆるやかに続けていくことができるはずです。

【まつを小話】

僕は中学生のころにウイニングイレブンのマスターリーグにハマって、社会人の始めまでやり続けてきました。

一番の楽しみは、強い選手を買ってドリームチームをつくるのではなく、新人の選手を育て強豪に売り払う最強の育成チームをつくることでした。

なので僕のつくるチームは、他の友人たちとは違って「誰これ?」っていう選手名ばかりがスタメンにずらりと揃っていました。笑

結論:成長するのが好きな人にはおすすめ


教育の仕事は、究極的なところ自分を変え続ける仕事と言っても過言ではないと僕は考えています。

自分を変えるとは、つまり言い換えると成長することと捉えることはできないでしょうか?

一番向いているのは、自分を成長させていくことが好きな人なんですね。

そしてそのことの何が良いかって、その成長する姿を選手や生徒たちにロールモデルとして見せることができるのです。

もちろん、ずーっと上手くいくことはないですし、時には失敗する姿も見せることになるでしょう。

ですが選手や生徒たちというのは、僕たち教育者が彼らのことを思って動いたことに対して、たとえ失敗したとしても非難することはないのです。

僕たちもそうじゃないですか、頑張ってる人を見て笑う人はいません。もし笑う人がいたら、その方はウ〇コちゃんです。

自分のために色々と動いてくれている人には、マイナスな感情を抱くどころか、むしろ「ありがとう」という感謝の気持ちが湧いてきますよね?

教えることも、全体や個人へのアプローチも、自分の成長なくしてより良いものにはなり得ません。

自分が変わっていくことが好きだと、選手や生徒が変わっていくことも応援できるし、変わっていく過程でぶち当たる壁に共感してあげることもできます。

イイこと尽くしですね。

教育とは?


ざーっと考察してみましたが、確かにね~と思える見方があれば幸いです!

それでは最後に、この記事に関連する名言を取り上げて締めますね。

紹介する名言は、

教育とは、愛だもの

by まつをが通っていた幼稚園の園長先生

うーわ、まつをクッサ!

と思う気持ちもわかりますが、僕的にはこれが真理なのではないかと感じています。

Thinkではなく、Feelです。笑

今日も明日も明後日も、僕は生徒や選手たちを愛し続けるのだ!


まつを

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