コロナで外出が減り、独りの時間が増えると自分と向き合える半面、向き合うことでさらに迷いが生じることもありますよね。
そんな時にこそ僕は、バガボンドを読んで主人公の宮本武蔵からパワーをもらうようにしていまっす。
先日、ラクマでバガボンド+リアルの欲張りセットがなんと1500円という破格の安さで売っていた!
のを発見して即購入し、この週末に足りなかった最新巻までの4冊も無事揃え終わりやした。
大学時代に37巻以降の新巻がストップして以降、未だに38巻をまだ発行するに至っていないようですが、「それでもいつか井上雄彦先生は必ずまた続きを書いてくれるはず…!」と心待ちにしているのです。
さてさて、今日は『バガボンド』の8~10巻の中から、「素敵やん」と思った言葉を独断と偏見で選んでいきます。
『バガボンド』8巻
俺は自由自在だ
胤舜との再戦時に、最後の一撃を食らわす直前に発した何気ない一言。
バガボンドの最新巻まで読み終えた後で改めてこの言葉を聞くと、最初の頃から時折武蔵には真理が見えている時があったんだなと。
なので読んだことのない人にとっては「は?」と思うセリフですが、一通り目を通した人であれば「ここで既に後の自問自答に対する答えが出ているじゃん」と思わされます。
自分(という容器)は自由自在
こう思える時は相手に圧倒されることも、支配されることもなく今この戦いの場において周囲との調和と余裕を持って相手と向き合うことができる。
ただこの後の戦いで何度も苦戦するように、この境地に至ることがどれほど難しいか。己の感情に捕らわれることもなく、それを客観視できるか。
僕には武蔵は常に、自分がその状態になるための訓練と反省を続けているような気がします。時に忘れ、そして思い出すことを何度も繰り返しているのではないでしょうか?
これほど強い武芸者であっても、常に不動なる心でいることは不可能なんでしょうね。だからこそ、その不可能さを受け入れた上でその境地までどれほど近づいていけるか(いくか)。
俺は強くなったはずだった 強くなろうと思って…懸命に砂をかけていたのか …弱さを覆い隠すために完全無欠の強さを求めたのか 俺はここから一歩も動いちゃいなかった 俺自身をも覆い隠し 誰に何を与えもせず 孤独…
強さを求めすぎたせいで、周囲との確執が深くなった胤舜。
でもその強さを追い求める行為は、実は自分の弱さを隠すためだったことに気がつきます。弱さを認めることでこそ、「弱さを知っている強さ」を手に入れることができる。
己の強さとは、人との繋がりの中でも確認していくことが必要なのかもしれません。
であれば「真の強さ」は絶対的であり、なおかつ相対的な評価をも併せ持っていると考えられますな。
胤舜 ひとりじゃないぞ
武蔵との戦いを終え、胤舜が師匠の胤栄にこう言われ、過去をすべて受け入れ涙を流します。
バガボンドという漫画では一貫して、人の孤独と人との繋がりを描き出しています。武蔵は独りストイックに自分と向き合い修行をするシーンに「男たるや」の憧れを抱きがちですが、実はそれと同じくらい自分と戦う相手との繋がりも大事にしています。
己を磨くためにとにかく自分だけで強くなっていく。
胤舜もそう考えていたと思いますが、武蔵との再戦で強烈な一撃を浴びて生死をさまよい、意識の中で自分の過去と向き合うことになり、そして同じ修行仲間や胤栄の存在の大きさに気がつく。
そしてそれを言葉にして伝えられ、心に染みたんでしょうよ。
シンプルですが、言われたら間違いなく嬉しい言葉!
『バガボンド』9巻
無謀と笑うか? なんの 天は笑いはしない
柳生石舟斎に会いに行くと決めた時に、武蔵が子分の城太郎に言った言葉です。
常に肝が据わっていて大胆、それでいて自分の可能性を信じている。
そんな武蔵だからこそ、天は多くの試練を与えつつも生かしておいてその先を見ていたいのかもしれませんねえ。
『バガボンド』10巻
俺は強くなっている ありがとうじいさん …ありがとう胤舜 俺の中にあんたらが生きている …勝てるという考えもないが… 何だろうこの感じ 目を閉じてしまってもかまわんような… そんな気さえする
柳生石舟斎に会うためには門下生たちと戦わなければならず、中でも主力級の4人が武蔵の前に立ちはだかります。
その中でも、武蔵はこれまでのような殺気だけで立ち向かうのではなく、余裕を持って相手たちと対峙しています。
その余裕は宝蔵院で出会った2人との繋がりの中で生まれたもので、これまでは武蔵にとって戦った相手に感謝することもありませんでした。しかしここでは自然と「ありがとう」という言葉が出てきて、彼の安定した心の状態が読み取れますね。
「強くならなければ」ではなく「強くなっている」というある種の納得感が、この納得感を与えてくれた者達へ感謝の言葉として表れているんじゃないでしょうか?
『バガボンド』11巻
…あの人は恐れたのだ 無双という称号に… 無二斎という名にとらわれて 広い天下を狭くした
遂に柳生石舟斎と対面することができた武蔵は、寝ているその佇まいから多くの着想を得ます。
その中の一つが、実の父である新免無二斎の心の弱さに気づきました。
父は確かに強い剣豪であったけれど、どこかいつも余裕がなく、実の息子である自分にも敵対心を抱いていました。
その理由は、強くなってたくさんの人から言われるようになった「天下無双」という言葉に、自分自身が囚われてしまったからです。
「天下無双」であるならば強くなければならない、誰にも負けてはならない、常に追われる者として、周りは敵ばかりである、と。
いつしか自分の周りすべてが敵となり、気づけば独りに。それは強さというお面をかぶった、恐れからくるものでした。
言い換えるなら、無二斎は常に自分自身が創り出した幻影に脅かされ、恐れていたのです。
それは本当の天下無双ではないと、武蔵は気づきます。
僕たちも人生において、周りから賛辞を得るあまりそれに固執してしまい、常に賛辞を得なければならないと、それに適した行動ばかりしてしまうことがあります。
あくまでも、その時に他人が自分に下した一時的な評価でしかないのです。
やはり戻るべきところは他人の評価ではなく、自分自身がどうとらえるか、どう思うかなのでしょう。
天下無双とは ただの言葉じゃ 「天下無双とは」などと…考えれば考えるほど 見よう見ようと目を凝らすほど 答えは見えなくなる 見つめても見えないなら… 目を閉じよ どうじゃ お前は無限じゃろう?
自分に対して一太刀を食らわせようとした武蔵の攻撃を止め、畏れ参り石舟斎に現状抱える思いのたけを打ち明けた武蔵に対して、石舟斎がかけた言葉です。
先ほどの無二斎のことからもわかるように、「天下無双」とは他人が与えてくれた賛辞、つまりただ評価するための言葉に過ぎないのです。
「天下無双」とはそもそも追うものではなく、気づいたら成っているものであるとも言えます。
僕たちも、人生で時にただの言葉を追っているのかもしれないと考えさせられます。
例えば、成功者やお金持ちといった称号も、所詮はただの言葉に過ぎないのかもしれません。
言葉を得ることを目指していては、逆に人生の本質的な答えや到着点には辿り着けないのでしょう。
経験の振り返りをしよう
命のやり取りを通してさらに強さを磨き、心に余裕を持てるようになってきた武蔵。とはいえ人生はそんな甘くないので、またいつ鼻っ柱をへし折られるのか…。
この漫画の好きなところは、起きた出来事を武蔵が自省している描写が事細かに描かれているところだと僕は思いますね。
他の漫画は「悔しい!次は○○して勝つ!」と戦略の変更で済んでしまいますが、武蔵は「なぜあの時○○ではなく✕✕してしまったのだろうか」という視点で問題を見ています。
もちろん戦略も大事ですが、それよりも原因の追究とそれの蓄積の方がより必要なのでしょう。
データの蓄積ですね。
僕も失敗のデータを、このブログで積み上げていかねばなりませんな。
明日からまた一週間が始まるわけですが、どんな失敗をしてしまうのだろうか…。(笑)
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ドタキャンされる男性の特徴は相手よりも自分を大切にしているから説 | しこうの遊び · 2020年10月22日 10:45 AM
[…] 『バガボンド』8~10巻―心に残った名言まとめ④ […]
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