ここ数日、全然ブログを書けませんでした。
というのも、仕事でモヤモヤすることがありましてね。
とはいえ無事に頭の整理がつきましたので、今日からまたつらつらと記事を書いていきますかな。
さて、今回の話題は昨日観戦した高校野球の試合にて、選手たちに自分ならなんて言葉をかけるかなと考えたことについてです。
高校野球の試合の応援へ
「え、なんでサッカーじゃなくて野球?」と思う方もいらっしゃるでしょうが、新しい仕事と関係しておりましてね。
転職先の町には高校が2つほどあるのですが、そのどちらにもサッカー部が無いんですよ…。
まあそれは置いておいて、仕事の都合で地元の高校に足繁く通っており、生徒たちとの交流も深まってきました。
そんな中、特によく野球部の生徒たちと僕は話すようになったのですが、先週の会話で、「まつさん、夏の地区予選見に来てください!」と言われたわけです。
最近よく話すようになってきたし、野球部の生徒たちも誠実でいい子たちばかりなので、「よっしゃそれならば」と応援しに行ってきました。
昨日の試合は準々決勝で、今回の相手には昨年度に対戦した際にコールド負けした相手とのこと。
3年生にとって、この大会は高校最後の試合となります。
試合で結果を求めることから逃げてはならない
試合が始まる前に、ふと「自分だったらなんて声をかけて送り出すかな~」と考えました。
昨年度のコーチ時代はよく、
練習でやってきたことを出せば、勝てないわけない
ビビらずに、自分たちを信じてチャレンジしよう
byまつ
的なことを毎度言っていました。
こうやって文字にすると、なんかくせえなあ。
こういう声掛けをしていた理由としては、僕もチームがリーグ戦に勝つことから逆算して毎週のトレーニング日程を組んでいたので、その通りにやれば大崩れはしないという考えが根底にありました。
去年、僕がいた高校は全国大会にも出場するような北海道でもトップの実力でした。
チームの哲学はトップチームだけではなく、その下のカテゴリーも一緒なわけで、「絶対に勝利以外ありえない」ということを監督その他コーチ陣は常々言っていました。
去年はこの勝利至上主義がどうしても僕の中で受け入れることができず、そういう類の発破をかけるのが嫌で、少し濁して上記の声掛けをしていました。
ですが最近、チームを離れてみて思うことは、僕らはこの短い人生で結果(成果)を出すことがすべてなんだなということです。
正確には「すべて」ではありませんが、結果が有る無しでは大きな差が出ます。
常に勝利するか、たまに負けてしまうかは大きく違うんですよね。
「負けてもいいよ」という生半可な覚悟は、準備の中での油断を生みます。
常に勝つことは難しいんですけど、だからこそ常勝を目指すチームにおいて、準備を徹底的できるかがコーチとして、組織として問われていたのでしょうよ。
試合前の「楽しくやろう」という声かけについて思うこと
社会人になって、試合前に「楽しくやろう」という声かけをするチームをいくつか見てきました。
感じ方は人それぞれですが、個人的にはこの類の声かけには違和感が大きいんですよね。
勝ち負けを気にしないのであれば、「楽しくやろう」という思いで十分なのでしょう。
ただスポーツという特性上、確実に勝敗がつくわけですが、そこから逃げてる気がしてなりません。
僕としては、「楽しい」と感じるのはプレー中ではなく、勝った後に感じるものだと思うんですよね。
もちろん、試合中に自分がしたいと思ったプレーができたときにも感じることは感じます。
ただ、試合という戦いの前に「楽しんでやろう」という半端な気持ちで入ってしまうとエンジンがかからないと言いますか、楽しむのに勝敗へのこだわりはいらないという妥協が生まれてしまう気がします。
そもそも、楽しいことと勝利を求めることは相反するものです。
勝利を求める中に、楽しいが含まれることもないんですよね。
戦いの最中は「楽しむ」ではなく、”試合後に”「楽しかった」と感じるために必死になるのが良いと思うのです。
”勝利を求めるチームの指導者”として自分に欠けていたもの
去年の自分には、勝利への渇望が欠けていたのかもしれません。
その渇望が無いから自信が無く、そのため「絶対に勝て」と強い言い切ることができませんでした。
その結果、上記のような逃げの言葉で濁して、選手たちを送り出していましたね…。
書いていると、なんだか去年僕が教えていたカテゴリーの選手たちに申し訳なくなってきました。
選手たちの負けん気の強さのお陰で無事リーグは優勝できたことは、僕の自信の無さが選手たちに影響しなかった不幸中の幸いであります。
昨年の仕事を離れて少し時間が経った今の状態で、もし自分が彼らにもう一度声をかけえるとするとなると、
絶対に勝ちを掴み取ろう。
勝負というものは、勝たなければ意味はない。
勝敗に関わらず、”悔いなく”というのは敗者が事前に用意する言い訳だ。
悔いのない敗北など存在しない。
前に進み続けたければ、勝利し続けるしかない。
だから我々は、絶対に勝つんだ。勝ち続けるんだ。
byまつ
こう伝えるかな。
勝つことがすべてではないし、負けても学べる事はたくさんあります。
ですが、勝負にこれから臨む状況で、敗北してもいい、楽しんだもん勝ちなんてことを言うのは指導者として失格でしょう。
試合前は自分が強気で、そして選手たちにその強気を伝播させなければなりません。
”勝利を求める指導者”として試合に負けた選手たちにかける言葉
さてさて、高校生の結果はというとコールド負けでした。
あっさりした書き方ですが、それ以上でもそれ以下でもありません。
勝負の世界は厳しいもので、数字と結果が現実ですからね。
数字がそれまでの準備の差を表します。
つまりここで出てきた数字が示すものは、相手との間に準備において大きな差があったということです。
去年の結果で見えた差を、1年間で埋めることはできなかったという事実ですね。
敗北に対して、「”環境”の違い」という言葉を出す者もいますが、これは単なる言い訳に過ぎません。
その環境を作り出したのも、これまでの歴史の積み重ね(準備)なんですな。
過去について指摘するのはいささか残酷ではありますが、これもまたそのチームにとっての事実でもあります。
負けた野球部の生徒を見て、またふと今の僕ならなんて声をかけるかと考えてみました。
去年だったら、
負けた時こそたくさん課題が見つかっていい。
また大きく成長して次に生かそう。
byまつ
と言っていました。ありきたりですね。
誰も傷つけない、ある意味弱い言葉だったなと今となっては思います。
自分が情けない!本当に、選手たちに申し訳なかった…!
今なら、
負けたということは、相手よりも準備が足りていなかったこと。
気持ちに隙があったこと。
甘えていたこと。
すべて受け入れよう。まずはこれが次へのスタート。
この事実を受け入れることができなければ、絶対に次も同じ結果を生んでしまう。
今日までの甘さを明日からどれだけ捨てれるかが、次の輝かしい結果につながる。
そう信じて、ここから這い上がっていこう。
byまつ
ですね。
まあ、今も昔もどっちもどっちであまり変わらないか。
また来年「なんて声かけんねん?」って聞かれると、また変わってるでしょうね。
試合に負けた選手たちにかける言葉は「どう変わるべきか」を伝えよう!
個人的に、試合に負けた選手たちへの声かけで同情や叱責といった内容は違うと思います。
もちろん、話の内容の1つとしては良いかもしれませんが、選手たちがそのスポーツを続けること、そしてこれからも人生は続くことは変わりません。
人は何かの経験な中で学んだことを、次の経験への糧とするわけです。
そのため、やはり「次」に繋がる言葉を選手たちには届けることが一番です。
今を次にどう繋げるか、明日からどんな姿勢で臨みたいかを伝えることで、この負けを真剣に受け止める選手は明日から変わろうとするはずです。
ここに期待して、負けた選手たちへ顔を上げさせる言葉を贈りたいものですね。
去年の選手たちに何も与えることができなかった甘かった自分を忘れず、その後悔を後悔として終わらせず、次へ繋いでこそ。
スポーツを頑張る子どもたちの指導者や保護者として、みなさんならどのような声かけをしますか?