今日はリーグ最終節の予定でしたが、大雨でピッチ状態が劣悪なため、急遽中止となりました。
そのため、午前中はいじけてふて寝をして過ごしてしまいました…。
中止もふて寝も、こればかりは仕方ないです。(笑)
ウダウダしていてもどうしようもないので、午後からはジムに行って上半身を苛めてくるつもりです。
その前に、アウトプットをしておこうと思い、今日はこのテーマです。
熱意ってなんだろう?
日々仕事をしていて、「生徒の熱意を上げるにはどうしたらよいか」ということを常に考えています。
塾の生徒たちは、全員が毎日高い熱意を持って何かに挑んでいるわけではありません。
熱意という単語は、英語に言い換えるとモチベーションですね。
行動を起こす契機となるものと言われていますが、この熱意をコントロールすることはとても難しいですよね。
僕自身、普段生活をしていて、仕事とプライベートの両方で熱意を持って取り組めていない時があります。
「なぜ熱意が無い時があるのか?」「どうしたら熱意を持つことができるのか?」をずーっと考えてきて、最近ようやくその答えが見えてきました。
自分の中に毒を持て
数か月前に、岡本太郎氏の自分の中に毒を持て<新装版>を読みました。
読むきっかけとなったのは、僕の大好きなYouTuberのアバタローさんがアップした、この本の要約動画を見たことです。
心に突き刺さる言葉が多かったんですね。
本を読まなくても、この動画だけで十分だと僕は思っています。自分の価値観を変えてくれると言っても過言ではない、それほど衝撃的な内容のまとめ動画です。
冒頭から熱い言葉で埋め尽くされている本書ですが、岡本太郎さんが25歳の時にパリのカフェで決意する時の心情が記されています。
「安全な道をとるか、危険な道をとるか、だ」
あれか、これか。
どうしてそのときそんなことを考えたのか、今はもう覚えていない。ただ、このときに己に決断を下すのだ。戦慄が身体の中を通り抜ける。この瞬間に、自分自身になるのだ、なるべきだ、ぐっと総身に力を入れた。
「危険な道をとる」
by 『自分の中に毒を持て』
ここまで大きく大胆な決意をする人はいませんが、このシーンに岡本太郎さんのその後の成果のすべてが集約されていると本を読み終えて感じました。
まずは、決意することで、その決意に沿った行動をしようという熱意が湧いてくるのだなと僕は思ったんですね。
この本は、文庫本になっていてサクッとお手軽に読めて、そんなに凄い本には見えません。ですが、日本の有名な経営者にも影響を与えているようです。
例えばマコなり社長なんかも、動画で自分の価値観を一変させた本として紹介していますね。
もちろん怖い。だが、そのときに決意するのだ。
よし、駄目になってやろう。
そうすると、もりもりっと力が湧いてくる。
…覚悟すればいいんだ。それが第一歩だ。その方が面白い。
by 自分の中に毒を持て
怖いという感情は、何か行動をしようとするときや、新しいことに挑戦しようとする時に必ず湧いてきます。
その時に湧いてくる恐怖に捉われてしまい一歩踏み出せなかったり、恐怖を消すことに夢中になるあまり、これもまた一歩踏み出せずに終わったりします。
一番良いのは、その恐怖を利用することだと岡本さんは言いたいのだと僕は解釈しました。
「怖いし駄目になる、だからこそいいのだ」という最低条件から出発すれば、その後に広がる景色はどんなちっぽけなものでも最低のものより素晴らしいものでしょう。
たとえば、画家にしても才能があるから絵を描いているんだろうとか、情熱があるから行動できるんだとか人は言うが、そうじゃない。
逆だ。何かをやろうと決意するから意思もエネルギーもふき出してくる。
何も行動しないでいては意志なんてものありゃしない。
自信はない、でもとにかくやってみようと決意する。その一瞬一瞬に賭けて、ひたすらやってみる。それだけでいいんだ。また、それしかないんだ。
by 自分の中に毒を持て
僕は本書の中でこの言葉が一番好きで、アバタローさんもほぼ丸まんま引用して、熱く感情を乗せて語ってくれています。
この言葉こそが、情熱=モチベーションの正体を言い表していると僕は思います。
決意をすることで情熱が湧いてくる
本を読んで「なるほど!」と思っても、結局実践しなければ意味はありません。
僕も些細なことばかりですが、この本を読んでからはまずは決意することを実践しています。
これまで土日の休みを返上して行ってきた広報業務も、実際はしなくても良いという選択肢がありました。塾のスタッフが2名になったことで7月からずーっとバタバタしていたので、塾の業務だけに集中してくれても良いと上司たちには言われていました。
僕自身、「2つの業務を完璧に遂行できるのか」という不安がありましたが、成果を出したかったですし(出せたかどうかは微妙なところですが)、不安な気持ちを持ちつつも「やる」という決意をしました。
逆にその不安のお陰で準備をきちんとして臨むことができましたし(一度慢心でミスを犯しましたが)、一つ大きなプロジェクトを完了することができました。
決意して、熱意を持って取り組んだおかげで、また新しい大きな壁と出会うことができました。つまり、次なる大きな目標が生まれたんです。
戻って考えるとやはり、決意しなければ何も始まらなかったんです。
また、小さい出来事で言えば、
という新しい試みを決意しました。これについては今後どう身体に変化が出てくるのかまだわかりませんが、何かしらの成果が出るのは間違いありません。
決意をすることで、肉を家では食べないという習慣を身に付けることができています。
また、先週の引退試合でも
試合中にボロクソにこき下ろしたチームメイトに対して、自分から謝罪することができました。
本当に器が小さく大人としては最低なアクションをしましたが、正論であればドストレートにぶち込んでしまう自分がいます。
ですが冷静にそれを僕が言うのもおかしなことで、これは僕が100%悪いことだと認識して、「試合後すぐに謝罪しよう」と決意することができました。
そのお陰で、「お互い言いたいことはわかっているので、言い合うのは試合だけで留めよう」と和解することができました。
これも決意がなければ、試合後はお互いにずーっと無視し合っていたでしょう。
まず何よりも先に「決意する」習慣をつける
最近は「やる気でない」という生徒たちに、まずは決意することの重要性を語っています。
もちろん、それで変われば苦労しませんし、言って変わる生徒は一人もいません。ただまずは、その真理を頭の片隅に置いておいて欲しいのです。
その上で、とにかく色々な選択肢を共に探すようにしています。
嫌われる勇気という本でも、
馬を水辺に連れていくことはできるが、水を呑ませることはできない
by 嫌われる勇気
と、生徒にアドラー心理学の神髄を教える哲人が言っています。
僕も全く同じで、生徒を水辺に連れていくことはできても、水を呑むかどうかは生徒自身が決意するかどうかにかかっています。
僕はこの重要性に気がつくことができて、自分自身の行動に対しては常に決意を先にすることを実践しています。
生徒はまだ若く、”何が”自分の決意を後押ししてくれるかがわかっていません。それは、それまで出会ってきた選択肢の幅が狭いことが原因だと僕は考えています。
そのため僕がすべきサポートは、その「やろう」と決意させてくれる可能性のある選択肢をたくさん見せてやる必要があると思っています。
もちろん、いつまでたっても決意しない人もいるでしょう。
ですが周り何人かが徐々に決意し、何かに熱意を持って挑む姿を見ることで、些細な決意をする可能性もあります。
誰かを変えたいと思う時に必要なことは、大量のコミュニケーションを通して築く信頼関係の厚さと、得た情報を基に提供する選択肢の量に比例すると思います。
誰かを変える可能性=信頼関係の厚さ×与える選択肢の量
信頼関係の厚さは、コミュニケーションはもちろんのこと、圧倒的な実績による信用度の高さとも言えます。
こう考えると、今後僕たちが磨くべきこともシンプルになってきますね。
このブログを読んでくれるみなさんと一緒に、少しずつ人に影響を与えることのできる人材に成長していければと思います。
それこそが社会貢献であり、僕たちにとっての最高の仕事なはずです。