指導者は選手に嫌われることが正しいのか?怒る以外の伝え方はないのか?

今日は以前に書いた、

監督の教育・指導哲学に対し疑問を持ったので、そのことについて書いていけたらと思っています。

選手に嫌われる指導哲学


僕が今勤めている高校のサッカー部の監督は、以前僕に上記の内容のことを教えてくれました。

生徒指導に必要なのは、優しさではなく厳しさである。

生徒に好かれようとする指導者は、所詮生徒のためではなく自分のために行動している。

そのような教師・指導者はクソ。

厳しい態度で接しなければならない。

とのことでした。

確かに、選手たちに対する厳しさは僕も大事だと思います。

大人もそうですが、子どももついつい楽に逃げがちですもんね。

厳しいことを避けてしまうのが、僕たち人間の性です。

僕もよく辛いことからは逃げてしまいます。

怒ることが厳しさとイコールになっていないか?


今、勤めている高校の部活を見ていると、厳しいとは必ずしも怒ることではないのではないかと思えてきました。

つまり、厳しいことをはき違えているのではないかということです。

厳しいことというと、例えば自分が言われて嫌な部分であったり、図星であったりする点を伝える時、今の高校の指導者たち(サッカー部以外の部活も含め)は声を張り上げたり、ピリピリした空気を出して攻撃することが多いように僕の目には映っています。

僕の目にそう映るのであれば、恐らく生徒たちにはなおさらではないでしょうか。

自分は、厳しさを伝える時は内容だけにとどめ、伝え方は丁寧にしっかり伝わるように誠実に伝えるのがいいのではないかと思います。

厳しいことを言う時に、優しく言う必要なんてない。

そんな方法で伝わるわけがない、と思う方もいらっしゃるでしょう。

では、どうしたら選手たちに怒らずとも伝わるのでしょう?

選手たちに指導したい内容を受け止めさせるには?


一人一人の選手と良い信頼関係を築けていると、怒らずに言っても伝わります。

自分なりに日々選手たちと接して思うのは、対話の数が多い選手ほど自分の言うことをスッと受け入れてくれる確率が高いということです。

コミュニケーションの具体的な方法については、また別の記事で書いていきたいと思います。

言ってしまえば、ふんぞり返って指導・コーチングしてそれで終わっているから、いざ大事なことを伝えたいときに、選手たちは「毎度好き勝手言いやがって」という不信感が生まれるのです。

僕も言いたいことを言って終わってしまう日があるので、これは自分に対しても言えることです。

僕は「対話」を大切にしたいです。

「対話」は指導においては重要なキーワードになってくると僕は思っています。

最近見つかった人生のキーワード


先日読んだ、『時に海を見よ』で気づいたのですが、選手指導ではもちろんのこと、人生で大事なのは、想像力だと思います。

これについても今後の記事で詳しく説明していきますが、想像力があれば自分だけでなく、自分と付き合う相手の人生にも影響を与えることのできる人になると思うようになりました。

少し大げさですが、この言葉は僕のこの先の人生で、重要なキーワードになりそうです。